中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第2241回
栗田工業の生い立ちの頃の思い出

工業が発展したら、生産の過程で工場が廃水を出します。
そのまま垂れ流しにしたら大へんなことになりますので、
汚水の処理が必要になります。
まだ水俣病のような事件も表面化していない頃でしたから、
世間の関心はほとんどありませんでしたが、
私は大阪の青空株で取引されていた栗田工業が
近く上場するという噂をきいて、
わざわざ大阪の栗田工場の本社まで訪ねていったことがあります。

栗田春生さんは元海軍の機関大尉で、
ボイラーを扱った関係で、
水質に関して専門知識を持っており、
それを産業界に応用しようと考えたのです。
しかし、相手は水ですから、
物をつくる機械設備など何もありません。
あると言っても、水槽があるだけで、
「いやあ、見せる物が何もなくってね」
と頭を抱えて恐縮していました。
何でも海軍軍人だった時代に台湾に行って
台湾の美しい女性に惚れ込んだとかで、
それも周囲をはばからない
雷のような大きな声で喋りまくるので、
こちらもすっかり遠慮することを忘れてしまいました。
すぐ友達になって
東証で上場の説明会のために東京証券取引所へ上京した折りに、
一族郎党を連れて私の家に来て
飲めや、歌えや、をやったことがあります。

以後、水処理の商売は大変な勢いで成長しはじめましたが、
栗田さんは銀行にお金を借りに行くのが億劫で、
金ぐりは一切部下に任せ、
短期資金で長期投資をしたりしたので、
たちまち金ぐりに追われるようになりました。
「業績をよく見せかけないと銀行からお金は借りられないよ」
と人に入れ知恵されて粉飾決算をしたところ、
たちまち露見して証券法違反で
牢屋につながれる事になりました。
しかし検事が調べると、
どこの家にもカラーテレビがあるようになっても、
まだ家に白黒テレビしかないボロ家に住んでいることがわかって
私利私欲のためにためにやったことでないことが明白になり、
漸く自由の身に戻ることができました。
牢屋に入っていた時、
よく私の「西遊記」を読んでいたよ、と
そのすぐあと本人からきかされたことがありました。


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