第2214回
先ずブランドつくりからはじめる所です
私がアジアを代表する有名ブランドの
コーヒーの開発を思い立ったのは、
将来、豊かになった中国人が
コーヒーを飲むようになるだろうと確信しているからです。
日本人がコーヒーに馴染むようになったのも、
日本で高度成長がはじまり、
日本人の所得水準が上がりはじめてからのことです。
台湾の高度成長も1970年代になってからですから、
日本より20年は遅れています。
当時、台湾ではコーヒーを飲む人など
殆んど居なかったのですが、
国民政府と折り合いがついて
亡命先の東京から24年ぶりに台湾に帰った私は
国民政府の要請で、
台北市の銀座四丁目のコーナーにあたるところに
私が帰ってきたことが誰にもわかるようにビルを建て、
そこに裕次郎のコーヒー・ショップを誘致しました。
その店は女工さんのサラリーが台幣1000元だった時に
一杯500元のコーヒーを売り出したので、
すっかり話題になり、
「邱永漢さんは
台湾の経済建設に盡力するために帰ってきたと言うが、
本当はコーヒーの飲み方を教えに帰ってきたのではないか」
と新聞でひやかされました。
それが今では一つの通りに
コーヒーハウスが10軒はあるようになりましたから、
台湾の人たちがコーヒーを飲まなかったのではなくて、
お金がなかったために
飲めなかっただけのことだということがわかります。
いまの大陸でも
台湾の30年前と同じことが起っているのです。
上海の昼弁当は7元で買えるのに、
ガーデンホテルのコーヒーは
一杯でサービス料込み57元5角もします。
これでは飲みたくとも飲めませんよね。
でもそれがいつまでも続くわけではありません。
私の計算では
上海や北京では10年に平均所得は3倍ずつはねあがります。
そうなったら、コーヒーを飲めなかった人たちでも
飲めるようになります。
日本の人口の10倍のところで、
日本人と同じようにコーヒーを飲む人がふえたら、
どういうことになるのかというのが
私にコーヒー園を経営させる動機になっているのです。
でもまだまだ遠い将来のことですから、
先ずブランドづくりからはじめる必要があります。
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