中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第2145回
一番遅れて最後が衣の戻る番?

時代の変化に一番素早く対応できるのは
食べ物商売です。
市場で売っている食材の大半は
100年前もいまも大して変わりませんが、
レストランや料亭や一膳飯屋は
千変万化しています。
どうしてかというと、
時代によってお金の流れが変わり、
それが三度のメシに払う人々のお金の払い方に
大きな変化をもたらすからです。

戦後の日本だけを見ても、
敗戦によって復員のはじまった頃は
食糧不足のさなかでしたから、
配給ルートからは食料品は足りないだけでなく
すぐに姿を消して、
屋台の食べ物でもほとんどがヤミルートから
供給されるようになりました。
物の極端に不足した時代でも
ヤミルートならいくらでも物が手に入り、
同じくヤミで稼いだお金を払えば、
どんなご馳走にもありつけたのです。

10年たって生産のシステムが整い、
物をつくって
外国へ輸出することができるようになると、
国内では石炭屋とガチャマンと呼ばれた機屋さんが
一番金まわりがよくなりました。
また加工してつくった物が外国に売れて
外貨を稼げるようになたメーカーたちが
我が世の春を謳うようになると、
金まわりのよくなった人たちが
眞先に行くところは
贅沢な料亭やナイト・クラブでした。
一般の人たちはまだ食うや食わずでしたが、
社用族は大きな顔をして
会社が稼いだお金をじゃんじゃん使い、
その使い残しが配当金として
株主に支払われました。

それが次第に形を変え、
衣服にまわり、自動車にまわり、
やがてマイホームづくりにまわるようになってから、
日本の経済全体が充実するようになりました。
ところが、バブルがはじけ、
デフレでお金が儲けにくくなると、
社用族の使えるお金が一掃されてしまいましたから、
社用族相手の商売も
すっかりかげをひそめてしまいました。
これだけ金まわりのよい、所得の高い国でも、
社会需要がなくなると、
食も衣も住もまるで形が変わってしまいます。
それでも時間が立って、環境に馴染むようになると
すべての分野でまた新しいことがはじまります。
食も住も戻り足ですが、
もしかしたら一番遅れて戻ってくるのは
衣かも知れません。
つまり衣が戻り足になる番は
やっと来た感じです。


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