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第2129回
「お金儲けの神様」陶朱公の前身は范蠡です

「臥薪嘗胆」という言葉をご存じですか。
また「呉越同舟」という言葉もご存じですか。

「臥薪嘗胆」とは読んで字の如く、
薪の上に寝、また苦い胆をなめて
報復を誓うということです。
春秋時代に呉王夫差が越王勾践を討って
父の仇を報じようと志し、
いつも薪の上に寝てわが身を苦しめ、
また勾践が呉を討って
会稽の恥をそそぐために、
苦い胆をなめて報復の時を忘れまいとした故事を
表現したものです。
将来の成功を期して長い間、
苦心惨憺することをたとえる言葉として
後世に遺っています。

また「呉越同舟」とは
孫子に出てくる言葉ですが、
呉の国の人と越の国の人は仲の悪いことで
天下に知られています。
その両国の人が同じ舟に乗って嵐にあったら、
右手と左手が一緒になって動くように
相助けるものだという意味です。
但し、仲の悪い同志が同じ所に居合わせて
喧嘩が絶えないという意味にも使われています。

これらの格言を生み出した呉と越の争いは
越王勾践が范蠡という軍師に助けられて
呉の国を攻め、
夫差を自刃させることで幕を下ろします。
首尾よく仇を討った勾践は
「自分が宿年の仇を討つことに成功したのは
 お前のおかげだ。
 だから国を半分割ってお前にやる」
と范蠡に言いましたが、
范蠡は自分が仕えた勾践の人相を見て、
「首が長くて口の尖がった人は苦を共にできるが、
 楽を共にすることはできない。
 必らず禍いが身に及ぶから、
 足元の明るいうちに
 越の国を去ることにしよう」と言って、
天下の美女西施と
一族郎党300人を連れて越の国を去り、
太湖の畔に庵をつくって移り住みました。

国を去る前に同じく功を立てた大夫の種に
手紙を出して早く国を去ることをすすめましたが、
「国のためにこれだけのことをやったのに
 そんな目にあうわけがない」
と拒否されました。
それから間もなく勾践から
自刃の剣を賜わる使者が来ましたが、時既に遅し。
逃げ場を失った種は
後悔してももう間に合わず
自刃したと史記の中に書かれています。


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