第1950回
喧嘩は愛国者たちに任せましょう

いま確実になくなる方向にあるのは国境です。
かつて藩が国の役割をはたしていた時代には、
藩は藩主の所有であり、
藩主に盡すことが国を愛することでした。
廃藩置県が起ったあとも、
同じ藩出身の者を引き立てるのが
中央政府で出世した人たちの役割でした。
やがて国単位で物を考える時代になると、
県は藩にとって代わり、
県人会が幅をきかせるようになりましたが、
世界的規模でビジネスをやるようになると、
県人会は姿を消してしまいました。
アメリカにあるのも、中国にあるのも
日本人会であって、
熊本県人会や、広島県人会ではありません。

日本人が日本人の味方をしたり、
肩を持ったりするのはごく自然なことですが、
国境がなくなれば、
国境にこだわる人はだんだん少くなってしまいます。
国境がなくなるのに愛国というのもおかしな話で、
いま薩摩とか土佐とか
という話をする人がいないように、
そのうちに、日本とか韓国とか、中国とか、
肩を怒らせて怒鳴り合う人も
いなくなるのではないでしょうか。

靖国神社の参拝が問題になっていますが、
私がきいていると
いずれも感情で物を言っています。
公平に見て自動車をぶっつけた人と
ぶっつけられた人では怨念が違います。
もっと具合の悪いことに
ぶっつけた自動車に乗せられて
戦場に連れて行かれた日本人も
戦争の被害者なのです。
したがっていくら議論しても
感情論では片がつきません。
喧嘩をする積りならそれでいいでしょうが、
将来、国境が完全に
取り払われた時のことを考えるなら、
もっと理性的な対処が必要なのです。
そういう議論はほとんど見られないとすれば、
戦争の記憶が残っている人たちが
全部死んでしまうのを待つよりほかありません。
当面の喧嘩は
古い時代を生きてきた愛国者たちに
任せることにしませんか。

この連載も今日で
第18巻が終わるところまで来てしまいました。
この巻での一番の収穫は
輸出や外貨の力を借りなくとも
中国が自前で一大消費市場に到達できるところまで
来てしまったことに気づいたことです。
ではまた明日、お目にかかりましょう。


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