第1951回
理性を以て未来の扉をひらきましょう

靖国問題をどう解決するかが
日本にとって近隣外交の扉を
うまくひらけるかどうかの
鍵になってしまいました。
新聞のアンケートを見ると、
首相は参拝を控えた方がいいという意見が
過半数を占めるようになったようですが、
それに反対している人たちの理由を見ていると、
「他国の人に
 いちいち文句を言われる筋合いのことでない」
というのが大半を占めています。
国民感情から言えば、
もっともなことだと理解できます。

「でも」というところから
次の時代がはじまるのです。
戦争で死んで靖国神社に祭られている人の大部分は
人殺しに行くために
進んで列車に乗り込んだ人たちではありません。
命令されてやむなく
同じ列車に乗せられた被害者なのです。
そのへんのところがごっちゃになっているので、
銃口を向けられた側の言い分に
素直に耳を傾けることができない面もあります。

もう一つ、日本人はお天気屋で
情緒的な国民ですから、よく気が変わります。
「昨日の敵は今日の友」、
歌の文句にもあるように、
人に痛めつけられたことも、
人を痛めつけたこともすぐに忘れてしまいます。
でも、お隣りの国の人は
死んでも忘れない人たちです。
向うから見れば、
どちらが加害者で、どちらが被害者か、
はっきりしていますから、
お金ですむようなこととは考えていません。
しつこいと思うかも知れませんが、
国民性の違いの上に、被害者と加害者という
明確な立場の相違があるのです。

「なら、ほっとけ」という突っ放しも、
もちろん、可能です。
このまま突っ放しても、
戦争のことを知っている人たちが全部、
この世にいなくなってしまえば、
違った、新しい関係が生まれます。
その兆ざしは「冬のソナタ」の人気に
その一端がうかがえます。
かつての差別意識から見たら、
とても明るい方向に動いてきたなあと
昔のことを知る私のような時代の人間にとっては
とても嬉しいことです。

ですからこの問題は
感情で処理すべき性質のものではありません。
未来を睨んで理性を持って善処することによって
新しい道がひらけるのです。


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