第393回
「野心家の時間割」で溜飲を下げた思い出

生活をして行く上で、
お金はなくてはならない大切ものですが、
それに負けず劣らず大切な存在は時間です。
お金の使い方も難しいですが、
時間の使い方はもっと難しいかも知れません。
お金はたくさん持っている人と持っていない人がいて、
持っていない人は使い方を知らなくても不自由しませんが、
時間は誰でも持っているし、
使い方を知らないと無駄に使って
取り返しがつかなくなってしまいます。

俗に「タイム・イズ・マネー」と言うように
時間はお金に負けないくらい大切なものです。
労働だって時間で計算しますし、
ホテルだって時間貸しをします。
電車に乗る時の特急料金を見てもわかるように、
また料金を払って高速道路を走る人があるように、
人は喜んで節約した時間に見合うだけの
代価を払うものです。

そう考えていたので、時間について
自分の考え方をまとめてみたいと思ったことがあります。
たまたま「夕刊フジ」から連載をたのまれたので、
私は「野心家の時間割」と題して、
7回分ほどの原稿を最初の分として新聞社に渡しました。
そうしたら「お金の話をたのんだのに話が違う」
といって突き返されました。
作家としての私の地位から言って常識的に見て
そんなやり方は考えられないのですが、
仮に私に再考を促すとしても
編集長が自分で来るのが当たり前でしょう。
それを下っ端の編集者に、
子供のお使いみたいなことをやらせたのですから、
如何に横柄な人であったかがわかります。

時間とお金は同じ性質のもので、
お金のことを何回もくりかえし書くことに
食傷している私の立場も考えて下さいと
言いたかったのですが、
そのチャンスもあたえられませんでした。
私はその場で「ビッグマン」という雑誌の編集長に
電話をして、すぐに連載する媒体を変えました。
連載が完結してPHPのビジネス・ライブラリーの1冊として出版したら、
たちまち何週間もベスト・セラーズを続け、
私の原稿を突き返した編集長の不明を証明してくれました。
それ見ろと溜飲の下がる思いをした記憶があります。


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2001年4月7日(土)

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