第348回
109までは私も予想ができました

私がビルを建てるために選んだ30坪ほどの小さな土地は
渋谷の東急本社のすぐ左の路地に面していました。
当時の渋谷には駅の上に東横百貨店がありましたが、
道玄坂と宮益坂に
まばらにコンクリートの建物があっただけで
西武百貨店もまだできていませんでした。

246に面した東急本社の周辺は道路も整備しておらず、
商店など雑貨屋とラーメン屋くらいしかありませんでした。
それでもなぜか私は将来、
渋谷が大発展するような予感がして、
株を売って1千万円で土地を買い、
その上に地下1階、地上4階の建物を
1600万円かけて建て、
ビルに「マネービル」という名をつけました。
株をやって楽しませてもらった上に、
タダでできたようなものですから、
「タダノビル」でもよかったのですが、
店子さんから家賃もタダと思われては困るので、
象徴的な意味もあって「マネービル」と名をつけたのです。

のちに私は渋谷1丁目の児童会館のそばに
本社ビルを建てて引っ越しましたので、
しばらく人に貸していましたが、
隣接の土地を買い集めていた東急に売却しました。
売り値は1億8千万円でしたから、
日本経済の成長期は大企業と隣接しておれば
いい思いができました。
いま渋谷の東急ホテルが建築されているところですが、
五島昇さんも死んでしまったし、
大企業もグループごと苦しんでいますから、
小判鮫になっても駄目でしょうね。

あの頃に比べると、渋谷は大発展をして
東は恵比寿、代官山までつながり、
西は原宿、北は青山にまでつながってしまいました。
南側の南平台から私の家のある青葉台あたりまでは
まだ住宅地になっていて、
美空ひばりや盛田昭夫さんたちの家がありますが、
代官山が少しずつ西に拡がっていますから、
そのうちに私たちも
追い立てを食うようになるかも知れません。
町は生き物みたいなものですから
ドンドン変貌して行きます。
109までは私も予想できましたが、
渋谷がビット・バレーになるとまでは
予想できませんでした。
まだインターネットもなかった時でしたから。


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2001年2月21日(水)

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