第347回
いまだに渋谷を離られずにいます

私が自分の仕事場を渋谷においたのは
もう40年も前のことです。
当時、私は東横線の都立大学前に住んでいて、
作家として7,8本の連載物を書いていましたが、
或る日、思い立って
週刊誌に株式投資の連載をはじめました。

株のカの字も知らない者が専門家の中に割り込んで
どの株を買えばよいかという話をするのは
無鉄砲なことですが、
私は思い立ったらすぐ実行する性だし、
実行に移したら猛勉強をはじめます。
兜町に出かけて行って、これと思う人を質問攻めにするし、
ダイヤモンド社や東洋経済新報社に出かけて行って
根掘り葉掘り何でもききます。
その結果、クロウトと呼ばれる人たちが
一流株を売買して相場をつくっているのを見て、
成長株を探し出してきて
長期展望で保持するのが正しいと考えました。
4大証券の株式部長さんや法人部長さんのところまで
出かけて行って、
どんな会社が将来有望と考えているかをきき出して、
自分でそうした会社まで出かけて行って
社長さんにあったり、
工場の見学をしたりしてその記事を週刊誌に書いたのです。
当時としては全く斬新な試みだったので、
読者に対する説得力もあり、
私が毎週書くとすぐその日のうちに
その会社の株がストップ高をするということが続きました。

おかげでシロウトがクロウトの仲間入りをし、
私は逆に証券会社の社長さんに頼まれて
証券会社のお客さんに株の話をするようになりました。
私は日本国中とびまわって見てまわり、
これはと思った会社の株はすぐに買いましたので、
1年たって見ると、500万円の元金で買った株が
5000万円になっていました。
月給が1万円か、2万円の頃の話です。

でも簡単に儲かるということは
逆のことも起るということです。
私はお金のあるうちに
定期収入がある方がいいと考えなおして
小さなビルでもいいからビルを建てることにしました。
その時に私があちこち探しまわって選んだのが、
渋谷でした。
以来、世界中とびまわるようになりましたが、
本拠地はいまだに渋谷を離れられないでいます。


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2001年2月20日(火)

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