第316回
香港よ、どうしてこんなに早く年をとるの

いま私の住所は香港にあります。
コンベンション・プラザという国際会議場のあるビルに
自分の家があります。
別にオフィスもあります。
1ヶ月のうち僅かな日数しか住んでいませんが、
お手伝いさんも運転手もおりますから、
香港の人としてはかなり裕福な生活をしていると
言ってよいでしょう。

でも10年前に私がここへ移って来た頃に比べると、
私にとって香港の魅力はほとんど失われてしまいました。
アジアのニュース・センターとして
香港のはたす役割が消えてなくなってしまったからです。
10年前の香港はイギリスの植民地でしたが、
それ以上に中国大陸に隣接した反共基地でした。
人も言葉も共通でお互いに交流がありましたが、
1番近いが故に反共的で、
貧乏な共産体制を見下ろす半面、
それをおそれ、且つ憎んでいるところがありました。

香港から一歩、大陸へ踏み込むと、
竹のカーテンの向こうですから何かと勝手が違います。
しかし、小平の提唱した経済特区がすぐお隣りにあり、
既にかなりの実績をあげていましたから、
全く無関係ということではありません。
むしろ大陸の情報がナマの形で流れてくる接点として、
虚々実々入りまじってニュースが流れ込むから
きき耳を立てるに値するところでした。
私が住んでみたい気持を起したのもそのせいでした。

ところが、10年たって一国両制の香港特区として
大陸とは一線を画する政治体制にあるとは言え、
香港のジャーナリズムは
すっかり活力を失ってしまいました。
いまも反共雑誌があり、
北京の汚職ぷりや人権蹂躙ぷりを槍玉にあげていますが、
すっかり精彩を欠いて人々の心に訴えなくなっています。
共産中国が大きく変わってしまったことも
もちろんあります。
しかし、それ以上にニュースの発進基地としてのメリットが
なくなってしまったのが原因だと思います。
私のような文章を書く職業の人から見ると、
ニュースの泉はほぼ枯渇してしまった言ってよいでしょう。


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2001年1月20日(土)

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