第298回
ことしは私の人脈開発元年です。

自分で77才で死にたいと言い出したのですから、
77才で死んでも愚痴を言う積りはありません。
でも77才になっても死なないとなると、
あとは余白だから、余生というのでしょうか。
余白を埋めなければならないのですから、
私は「字あまりの人生」と呼んでいます。

私は退屈することを嫌う人間ですから、
余白がある限り、それを埋めないと気がすみません。
仕事はたくさんあるし、
ことしから新しくはじめる仕事もあります。
死にたいなんて口だけだと人に思われるかも知れません。
でも私の美学はきれいに後片づけをして、
とぶ鳥はあとを濁さずという死に方をすることではなくて、
昨日の続きをやっているうちに
そのままポックリ逝ってしまうことです。
そんなにうまくは行かないと思いますが、
「木口小平は死んでも喇叭を手から離しませんでした」
というのがいいですね。

そうなると、いま私に最もふさわしい仕事は
国際的な顔の広さと一見、わけ知りなところを楯にして、
人と人をつなぎ、事業と事業をつないで、
1プラス1が3にも4にもなるような
付加価値のつけ方をすることかも知れません。
現に私が自分の秘書として募集した若者たちを何人か、
いまをときめく企業界のチャンピオンたちにお見せしたら、
皆して質問攻めにした上、私のことを羨ましがりました。

そんなことなら簡単だ。
鉱脈はまだちょっとふれただけで、
どこまで続くか見当もつかない含有量です。
新しい年は人脈開発元年にしようじゃないかと
目から鱗のおちる思いをしました。
末尾の広告にもあるように、
将来、一国一城のあるじをめざす野心ある若者たちは
私のところへ申し出て下さい。
私が志のあるところを組んで、
場合によっては面接を直にして、
就職先の世話も致します。
一切無料ですから、心配は要りません。
うまく新しい道がひらけても謝礼は要りません。
その代わり私が死んで
「お別れの会がどこのホテルでひらかれる」
と新聞に載ったら、
ちょっと挨拶に顔くらいは見せて下さい。


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2001年1月2日(火)

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