一方、デパートはファッション化のスピード・アップにいっそう拍車をかけるようになるが、ファッション化のスピード・アップはファッション製品そのものを陳腐化させることになるから、まずファッション製品が実用品並みの扱いを受けることになる。現にブランド商品の普及によって、昔ほどブランド商品が珍重されなくなっている。次に、ファッションのサイクルを早く回転させようとすると、新しいものに変わる前に、まだ現に使っているものが次のファッションになってしまうおそれがでてくる。
ネクタイにしても、金時の腹巻みたいなものを流行させ、続いて細いものに切りかえさせることには成功したが、あとが続かない。狭からず広からずというのは、ネクタイの常識になってしまったが、これは背広の襟の幅についてもいえる。いくらデザイナーが自分たちの思う方向へ誘導しようとしても、消費者のほうが賢くなって、おいそれとは乗ってくれなくなったのである。
とすると、ファッションのほうが消費者に待ったをかけられるようなことも起こるし、ファッションの持つ付加価値が激しい競争によって削りおとされたり、過剰生産でメーカーが淘汰されたりすることも起こってくる。ファッションのもつ魅力は、今後も物離れから消費者を引き止める大きなファクターであることに変わりはないが、これまでのような勢いはなくなるのではないだろうか。
衣食住の中で「衣」も「住」もほぼ不足が充たされてしまうと、あとに残るものは「食」だけということになる。「食」は胃袋の大きさに制約されて、それが農業国の繁栄にストップをかけたと私は説いたことがあるが、工業生産が伸びるだけ伸びてほぼ飽和点に近づくと、やがて国全体の繁栄にストップがかかることも考えられる。少なくとも「物をつくる」という面では、売れないものを無理につくり続けることはできないから、物の生産はやがて停頓する。停頓するといってもまったくストップするわけではないし、また中身が同じというわけではないが、生産を年々増大して行かなければ採算がとれない体制からの切りかえは、どうしても必要になる。同じ売上げでちゃんと利益をあげて行く体制の確立が要請されるのである。
富の増大にもっとも貢献してきた「衣」も「住」もさしてふえないとなると、「食」が改めて大きく見直されることになる。「食」は胃袋に制約されるかもしれないが、食べてしまったあとにすぐまた腹が減り、また食べたくなるからである。衣食住の中で「食」のもつ消耗性が、あくことなき企業意欲の注目の的になる時代が、再び来つつあるのである。
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