「食」は反マスプロが主流に
「食」という分野はもっとも歴史の古い分野であり、それだけ開発の遅れた分野でもある。古いだけに保守的な気風が強く、「食」に革命をもたらすことは容易ならざることである。
たとえば、米食に親しんできた人々をパン食や麺食にかえることは至難の業である。魚を食べていた国民を肉食にかえるのも難しいし、豆腐や納豆を食べていた国民にチーズやバターを食べさせることも、容易なことではない。
ところが、高度成長経済の過程で、日本はことごとくこの奇跡を実現させた。私はたまたまインスタント・ラーメンのはじまった頃からかかわりを持っていて、「食の革命は難しい」と痛感していたので、たとえインスタント・ラーメンが伸びるとしても、今日のような伸び方はしまいとタカをくくっていた。また日本人のパン食嗜好は、小学校の給食をパンにしたことがきっかけになっているが、それにしても、小麦の生産をしない国が米食からパン食に切りかえたことは、歴史にその前例を見ない一大椿事である。
さらにまた日本人は、農業国から工業国へ切りかえて行く過程で、農業の工業化に力を入れたばかりでなく、農産加工や貯蔵の技術でアメリカに見習ったので、冷凍食品も普及したし、果実をジュース化した食品も受け容れられるようになった。また、ハム、ソーセージのような肉製品が国民の常食になり、小さな肉屋だった人たちが一代で年間三〇〇〇億円も売上げをするような一大メーカーにまで成長する、という目を見張るような変化も起こった。
食生活上における革命的な変化は、経済成長のとまった昨今もまだ続いており、「小僧ずし」から「ほっかほっか弁当」に至るまで、また「生鮮三品」といわれたのが「おかず」の参入によって「生鮮四品」と呼ばれるようになったのを見てもわかるように、次から次へと新しい工夫が行なわれている。
ある時期はメーカー品が幅をきかせ、ビールにしてもビスケットやキャラメルやチョコレートのような菓子類にしても、大メーカーによる寡占状態が生じたが、やがて個性化、選別化がはじまり、小さくても特徴のある店の製品とか、古くからのノレンを守ってきた老舗の製品とか、あるいは手づくりとか、おふくろの味とかいった郷愁をさそう食べ物がどこにでもあるようなナショナル・ブランドの製品を食い荒らす傾向が見えてきた。 |