前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第258回
ブッシュのノーベル平和賞

ノーベル平和賞も色あせました。
この次は米国ブッシュと英国のブレアが候補に推薦されるそうで、
実現したらあきれる人も多いと思います。

平和賞の基準はいったい何なのでしょうか。
かなり前ですが、キッシンジャーがノーベル賞を貰った時も、
釈然としなかった人も多かったと思います。
イスラエルの首相とパレスチナのアラファトが貰った時にも、
驚いた人が多かったのでした。
それでも、パレスチナとイスラエルの間に平和が生まれたら、
「めでたしめでたし」だったのでしょうが。
しかし、アラファトをリーダーとするパレスチナの人々も
イスラエルも、それから今に至るまでに
平和になったとは言い難いです。

以前イスラエルを旅行していた時、
高齢のイスラエル人女性のガイドが言っていたことがあります。
「今度の首相は戦争を経験していないから心配です」
と、軍人出身でない首相が非常時に対応できるか、
心配しているのでした。
その後のニュースでは、
その頃よりもひどい状況になっているように見受けられます。
それでも現在は
「アラファトが死んだから平和がくるかもしれない」
と、いう皮肉な希望的観測まで出てきているそうです。
厳しい状況にもかかわらず、株の値上がりなど、
確かに中東の平和への期待感は生まれているようです。

その前身がテロリストでも、戦争遂行に絡んだ人でも、
平和への貢献をしたということがあれば、賞が贈られるわけです。
アラファトやキッシンジャーの行なった和平の行為を讃えても、
それによって彼等が平和主義者だということではないのです。
とりあえず平和を導けば、その行為に賞を与えて、
その前のことは問わない、という基準のようです。

その後のアラファトの行動は、
やはり戦いの方が性に合ってるようでもあり、
贈った方は”まずいなあ”と思ったかもしれません。
しかし、その時点の行為を讃えたのならば
「賞は間違いだった」と訂正する必要はないのでした。
しかし、ノーベル平和賞の方が色あせてしまいました。

科学の貢献をした人が、賞を貰った後で、
その後何の業績も無くても非難する人はいません。
しかし、平和賞は、
何となく、全人格が平和を自分の使命として
一生を送る人のような感じがあります。


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2005年7月12日(火)

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