第57回
キオスクのおばさん
新聞は以前はキオスクやスーパーに買いに行くのが普通でした。
私の妻もその昔、
新聞を買いに日曜日ごとに駅のキオスクまで行きました。
求人広告や不動産や中古車の広告がそれぞれ一束を占めています。
職捜しに飛び込みはもう嫌だったので新聞にしたのです。
キオスクのおばさんはデンマーク語もろくに話せないのに、
日曜版だけを買いに来るのを多分不思議に思ったのでしょう。
ある日曜日の朝「何を読んでるの?」と尋ねました。
仕事を捜している、と答えると
「もったいないから毎週毎週に新聞を買うことはないよ」
と言って、その場で新聞を開いて一緒に仕事を捜してくれました。
そしてある日曜日、紙面の一箇所を指差して
「磁器の絵描きがいいよ」と言いました。
給料が良くて言葉が障害にならないという理由で、
面接に行くことを勧めました。
面接にはデッサンを持っていくことになっていたので、
どんな仕事か知らないけれど
「これはなかなか難しいかな」と、思いました。
でも、とりあえず手近の物で間に合わせて、
近くの野原に咲いている花と自分の左手を描いて
翌日に持って行きました。
そんな手軽な絵でしたがなぜか面接には受かってしまいました。
普通に絵が描ければそれで良いということらしいです。
こうして妻は
ビング&グロンダールの磁器の人形の色を塗る事になりました。
ビング&グロンダールは
後にロイヤル・コペンハーゲンに吸収されましたが、
そのまま仕事は続けました。
このように国民学校や仕事場やキオスクまで、
その頃私達が暮らした身近な人達は
いい人がとても多かったのです。
そこでその頃は
「福祉は良い人を育てる、
経済の心配がなくなると人は良い方に変わる」
という結論になるのかと思いました。
国民学校で一緒だった私の友人が語るところによると、
彼の弟が入ったはそんなに良い学校ではなかったそうです。
「先生よりも、どういう生徒が集まったかということで、
その学校が決まる」と彼は語りました。
この国の人がそう言うのなら、
私達はたまたま運が良かったのかも知れないです。
そのほかには、その頃の我々の時代は、
欧米から発した世界的な風潮としての優しさがあったようです。
私のその友人は今、
私達のいた西樺村の国民学校に近い町で牧師をしています。
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