第36回
地獄から来た男
不安そうに面接にやって来たチュンは
超童顔の実直そうな人でした。
中国系のカンボジア人で、
数人の仲間とタイの難民キャンプから脱出した人です。
1975年から始まったポルポト政権の大虐殺の犠牲になり、
十一人兄弟のうち九人までが殺されました。
一番上の姉は政府機関に務めていたので
政権が入れ替わるとすぐに殺されました。
都市に住む者は全員が郊外へ追い立てられました。
食べ物も与えられず人民公社まで何日もかけて歩いていくのです。
子供も病人も年寄りも「平等」に歩かされるのでした。
当然その時点で倒れる人が出ましたが歩かないと殺されました。
人民公社に着くと強制労働に従事させられました。
私有財産廃止で、食事も給食でした。
給食のお粥が少なくても文句をいうと殺されました。
貨幣は廃止されましたが売る店も売る物も無いのです。
国の方針に合わない人間は全員死刑。教育を受けた者は死刑。
と、ものすごいことが行われたのです。
公社の農地は均一な大きさに整えられました。
しかし地勢を無視した計画は計画倒れになり、
収穫は激減しました。
飢えと疲れでたくさんの犠牲者を出して作られた運河でしたが、
設計ミスで田畑に水が届かないこともありました。
その上に大量の米が中国に運ばれていったと、チュンは言います。
飢餓の歴史を持たない唯一の国といわれた肥沃な土地で、
餓えと栄養失調と病気で死者が百万人を超えました。
ポルポトが「地上の天国」を目指したかどうかは疑わしいです。
しかしマルクスや毛沢東が下絵を描いた「来るべき世界」が
元になっていることは確かです。
しかしそこには「地獄」そのものが出現してしまいました。
そんな事になっていることも調べずに
各国はポルポトを援助しました。
ポルポトが権力を握れたのも中国が武器の援助をしたからです。
それから四年後にベトナム軍に解放されるまで
その状態は続きました。
私はベトナムはカンボジアを救った国かと思うのですが、
チュンは余り良く言いません。
その前の歴史もあるらしくて隣同士の国は難しいですね。
チュンはコペンハーゲンでデンマークの学校に通いました。
そしてその後の数年の間は私の友人の掃除会社で働きましたが。
でも、別な職業に就きたくて上級学校に通いました。
しかし、再び考えを変えて
そこも三年で止めて就職活動を始めました。
ところがどこにも雇ってもらえないままに二年がたっていました。
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