第965回
幸せ感
発展途上国の中でも道幅に関して見ても、
車道があり自転車道がある。
もし、車道に自転車が入ってきたなら自転車のほうが悪い、
車道があって自転車道がある、
そこから人が歩ける歩道があって、
歩道のそばにすぐ家があるのではなくて、
芝生がありその奥に始めて自宅がある、
自宅といっても
住む地域によっては高いビルの建設が認められなくて、
家は一階か、または二階建ての家で
周りの景色が他に住んでいる住民にも見えるくらい低くなっている。
そうでなければ建築許可が下りないというような国もあります。
所得が高くて住居環境がいい所に住めて
始めて先進国に見合った生活ができるようになっていったなら
一番いいでしょう。
では、日本の住居といえば
購入するときのお金が高い割りに狭くて息苦しい、
都会の道路に対しても
場所によっては学校に通う子供が
危険を承知で歩かなければいけない道路が多くて危ない。
日本が先進国といっているような内容の環境を考えたなら
そうは見えません。
国の所得が高かろうが低かろうが、
そこに住んでいる人が幸せに暮らしていけるような自由環境があって
初めて幸せ感を感じられるようになっていくのでしょう。
第二次世界大戦で敗退後の日本は、
国民が豊かになっていくために一生懸命にがんばってきたのですが、
物に対する豊かさを満たそうとしてがんばったがために
精神的な豊かさのほうが疎かになってきた傾向が強そうです。
日本では企業戦士という名の下で、
何もない敗戦国から製品を作り上げてきたのが日本の自負でしょう。
ですが、その成果がこの結果では納得がいかないでしょう。
テレビのコマーシャルで放映されている中で
少しおかしいと思うのが
「何のために働いているのか」という問いに対して、
「自分は仕事が好きだから」と言うのがあります。
ですが、これでは
「仕事が好きであれば悪い事だっていくらでもやる」
というふうに誤った考え方もできます。
「何のために働いているのか」という問いに対して、
「自分のため、家族のためが第一で、
ひいては仕事を通して世界に貢献できる仕事に従事すること」
というのでしたら納得いきますが。
ただ単に仕事が好きだからなどという前に、
何で仕事をする必要があるのか、
まずは自分の幸せのほかに、
人にとっての幸せにつながるようなことができれば
一番いいのではないでしょうか。
そう考えれば、
人をだましても自分だけの利益になればいいという考え方は
できなくなるでしょう。
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