第941回
株式ファンドの口数
2006年末時点では香港、中国本土市場の株式市場が
次々と新企業が上場、また資金調達も盛んになり
相場も上昇してきていることから
株式型ファンドの純資産額が急増し、
株式ファンドの口数は前年同期比で93.4%増と増えています。
純資産額でも2005年の4700億元から
82%増えて8550億元にまで伸びています。
この資金が株式市場に流れ込んできており、
今年も株式型ファンドの純資産額では伸びていくでしょう。
資金でも短期、長期投資にかかわらず入ってきますので
株価でも影響を受けていきます。
ファンドの投資資金も海外の投資家より低い為替変動幅で済みます。
少ない値幅の値上がりであっても投資の利益は確保できます。
比較的に短期でも値上がり益を狙った
投資ファンドの資金が散発的に入り
少し株価でも上げた時点で売却し、利益を得ることができます。
投資に対しても過去と現在では違ってきています。
投資の方法として
日本の株式市場でも仕手戦と呼ばれた投資の仕方が
一時流行っていました。
仕手戦とは株式市場に上場している銘柄を
売り方と買い方が激しく競り合って大量の売買を行っていくことで、
どちらか勝ったほうが利益を得ます。
戦前から多くのお金持ちが仕手戦を繰り広げ
勝ったほうは利益を得ますが
負けたほうは全財産をなくすという投資の仕方で、
1935年には
山種証券の山崎種ニさんが仕掛けた仕手戦を行っています。
アメリカは1920年代には黄金期を向かえていましたが、
それも牙城の一角で1929年に株価は急落し、
世界の株式市場の株価も大きく値を下げていきました。
ですが、山崎種ニはそろそろその影響も収まって
日本経済はアメリカよりも先に立ち直り
上昇に転じるのでないかという読みから
積極的な買いを行ったことで一財産つくり
1935年には山種証券の本社ビルを兜町に建築しました。
1935年後半には株式市場でも相場の過熱を感じ
1936年には一気に売り玉を増やしました。
ですが、これが的を大きく外れます。
一度上がり始めた株は狂ったように値上がりをし、
山崎種ニの買った株に対して追証が発生し窮地に立ちました。
その後1936年2月26日の朝に
皇道派青年将校に率いられた1400名の兵が決起し
首相、陸相の官邸、内大臣の私邸、警視庁などを襲撃しました。
(2・26事件)
このことが引き金となって政情不安から
株価でも大きく値下がりし全銘柄が暴落していきます。
山崎種ニは後は暴落した株価に対して売り玉を売却していくだけで
膨大な利益を手中に手に入れることができました。
これは山種証券が時代を読みながら仕掛けた仕手戦ですが、
現在は世界のお金はひとつの証券会社だけではなく、
もっと多くの投機資金で動いていくようになってきています。
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