第78回
与謝野晶子と美しい湯の流れ
<我我夫婦の越佐旅行に就いて概略を書いて置く。
十月廿五日に朝の上越線急行で上野驛を發した。(中略)
水上驛に下車し、自動車で一里余の湯檜曽温泉に赴き、
林屋に投じたのは午後一時である。>
(『冬柏』昭和9年11月号)
詩人の与謝野鉄幹は、妻で歌人の与謝野晶子とともに
水上温泉郷の奥にある湯檜曽(ゆびそ)温泉「林屋旅館」に
投宿した日のことを、当時の雑誌に寄稿しています。
このとき、先々代主人の林音松さんが晶子に一筆したためて
もらったという歌が、今でも残されています。
『毛越のさかい清水の峠より 南乃野山紅葉しにけり』
2階の廊下に、当時の宿の様子を伝えるモノクロ写真とともに、
直筆の掛け軸が飾られています。
「与謝野晶子の掛け軸は、まだ他にもあったようですが、
当時の番頭が客にせがまれて、酒と交換してしまったようですよ」
と、4代目主人の林伸幸さん。
以前はサラリーマンをしていて、
全国の温泉を方々回っていましたが、
「やっぱり、うちの湯が一番いい」と、
生まれ育った湯檜曽温泉に帰ってきました。
平安時代より、こんこんと湧き出る湯は無色透明で、
湧き水のように澄んで美しい。
2本の自家源泉と1本の共有泉から給湯される総湯量は、
毎分150リットル以上になります。
温度の異なる3つの源泉を微妙に混合しながら、
加水も加温もすることなく、季節や天候により変化する
浴槽内の湯を適温に調節しています。
湯をこよなく愛する湯守(ゆもり)のいる宿だからこそ
なしえる匠の技です。
与謝野鉄幹、晶子夫妻が、この湯に浸かり、
歌を詠んだのだと思うと、感慨もひとしおです。
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