心はすでにアメリカヘ
私が台湾につくった工場にはそうした性質のものが多かったから、当然、私もそうした激流の中で天手古舞をさせられることになった。テント・コンテナの工場もそうであったが、レンズを磨く工場も、箸をつくる工場も、次々と整理していった。
前にあげた剣道具の工場や証券会社なども含めて、一年間に私は台湾で七社も店じまいをしたが、事業は攻撃をするときよりも、退却をするときのほうが遥かに難しい。負債の整理もしなければならないし、従業員たちに退職金を払ったり、配置転換をしたりもしなければならない。
私にそれができたのは、一つには私に自衛力が強く、ここで投げなければ自分が引っくりかえるという折返し点まで来ると、案外、あきらめがよいからであるが、もう一つには私がいつもそのときのことを考えて、どの関連企業でも手形を一枚もきらなかったからである。
時に利あらずと見て、私は思い切って自分の事業を整理したが、それで台湾における私の事業が全部なくなってしまったわけではない。また海外投資はもう駄目だと思ってすっかり足を洗ってしまったわけでもない。
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