コストの安い台湾で
かつての日本の植民地として日本規格の商品づくりのできる韓国と台湾は、工業をとりまく社会環境が日本の次くらいのレベルにあり、人件費も日本の三分の一以下であったから、日本の下請けをやれる条件は揃っていた。日本から企業進出をして現地で生産すれば、安いコストの製品を提供できるようになるし、韓国や台湾側はその分だけ就職のチャンスもふえる。また工業技術を定着させることもできる。
どちらにとっても利益のあることだったので、私は私と交友関係にある中小企業の社長さんやその友人たちに話しかけて、台湾投資視察団を組織し、前後三十回にわたって、一回平均五十人ずつの社長さんたちを台湾に案内した。また私の生まれ故郷に近い台南県の新市というところに工業団地をつくって、合弁で次々と工場建設をしていった。
もちろん、私はどこに行っても文章書きという仕事がついてまわるから、台湾でも大新聞にコラムを持ち、どうすれば台湾の経済を発展させることができるかについて、日本の先例をあげながら、何冊も本を書いた。
こうして私は、毎月のように日本と台湾の間を往復するようになった。ということは、私の失敗の舞台が日本だけではなく、台湾にまで拡がったということにほかならない。全く性懲りもなく、というほかないが、以後、私の失敗は台湾にも及ぶようになったのである。
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