不動産投資の妙味と危険
さて、砂利屋の話はそれくらいにして、さきにも浅野八郎氏が指摘したように、いくつもの仕事を同時に並行してやらないと気がすまない私は、洗濯屋と砂利屋と経営コンサルタントを同時にやっただけでなく、少し資金的に余裕ができると、また次のビルの建設に乗り出した。
一軒目のビルを渋谷の東急本社の脇に建て、コンサルタントのオフィスをその三階においたことは、さきにも述べたとおりである。小さいながらもビルを建ててみると、ビルの採算がいやでも目につくようになった。
「マネービル」という少しふざけた名前の私の一軒目のビルは、敷地がわずかに三十三坪、地下一階、地上四階の建物にすぎないが、土地代一千万円、建築費一千八百万円、冷暖房施設費四百万円、合計三千二百万円ほどかかった。それを一階の敷金五百万円、二階二百万円、四階百五十万円、三階は自分が使用し地下は身内の者に保証金なしで貸したので、差し引き二千三百五十万円の投資に対して、自分の使用している階の家賃も入れると、年に六百万円ほど家賃が入った。一部借金はあったが、投じたお金に対する利回りはなんと二五%にものぼった。
不動産の投資がこんなに有利なものだとは、実際にやってみるまで気がつかなかった。もし株で年に六百万円も配当金をあげようと思ったら、それこそ生命賭けで買わなければならないだろう。それがわずか二千万円あまりの投資で得られるのなら、もう株はやめて不動産投資一本にしぼったほうがよいのではないかと真剣に考えるようになった。
そこで渋谷界隈の売地を盛んに物色してまわり、手ごろな土地を見つけた。しかし、その頃私の義兄のチューインガムの工場が経営に行き詰まって五千万円の負債を出して倒産をした。債権者たちに追っかけまわされて生きた心地もしないでいる姉夫婦を見殺しにもできないので、ガム工場の敷地を借地だったが二千万円出して肩代わりをした。 |