赤字つづきのテストショップ
なるほどセンセイのおっしゃるのもごもっともだから、じゃ代理権を委託された商社の人と、話を持ち込まれた私のコンサルタント先と、私の三人で共同出資して、まずクリーニングのテストショップをやってみようじゃないかという話になった。
しかし、いざ実行ということになると、結局、私一人になってしまった。すでに日本の経済はかなりのスピードで発展しており、人手不足が表面化していたので、集配人を使わないこうしたスタイルのクリーニング屋が、やがて日本でも受け入れられていくであろうことを私は直感した。
そこで、自分の住んでいる都立大学の駅前に十坪ほどの店舗を借りて、東京で一軒目のコインオペによるドライクリーニングの店をひらいた。八ポンド(約三・六キログラム)の洗濯物を洗える窓が四つあり、店を借りるための保証金から機械代、内装費をひっくるめて約一千万円のお金がかかった。私と前後して赤羽団地にも同じような店をひらいた人があるが、それは水洗いの洗濯機だけで、ドライクリーニングを完備した店は私がはじめてだった。
最初の四か月はほとんどお客がなかった。洗濯物を持って洗いに行く習慣がなかったし、クリーニングについては全くのシロウトである大学生を店長にして従業員三人ではじめたので、お召しの着物を機械の中に入れて出して見ると、いつの間にか金糸銀糸が消えてしまっていて、一日に二千円しか売り上げがないというのに、九千円も弁償させられたこともあった。一口に、金糸銀糸のお召しといっても、金糸銀糸を織り込んだものと、ただ布地の上に描き込んだものがあることを、このときはじめて教わった。 |