私はすぐに返事を書いて、ぜひそういう仕事をやりたいから、厚木の付近で土地を物色してほしいと頼んだ。折り返し返事があって、相模原に適当と思われる土地が見つかった。一万坪で坪三百円、合計して三百万円だがどうか、ときいてきた。
私は二つ返事で買ってくれるようにと手紙を出したが、私の姉と義兄はそれを実行に移さなかった。というのは姉たち夫婦は、人に頼まれて経営不振におちいっていたチューインガムの工場を引き受け、私が預けたお金をそちらにまわしてしまったからである。
戦後の日本はアメリカ軍に占領されていたせいもあるが、文化的にもアメリカの植民地の観があり、チューインガムやチョコレートをかみながら道を歩く習慣がハヤっていた。輸入品のリグレーのチューインガムだけでは需要を充たしきれなかったので、醋酸ビニールを原料とした風船ガムのメーカーがぼつぼつ商売をはじめていた。
のちに大メーカーにのしあがったロッテもその一軒である。私の義兄が引き受けたのはピーチといって、当時はキングトリス、ロッテ、ハリスと並んで、いずれもどんぐりの背くらべ的存在であった。
しかし、同じ商売をやっても、経営者の才能によって運命は大きく分かれてしまう。ロッテのように大企業に成長したものもあれば、ハリスのように大企業に買収されたものもある。またキングトリスやピーチのように倒産してしまった例もある。
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