時代の流れを痛感する
丘念台の父親は丘逢甲といって、日清戦争のあと、台湾が日本に割譲されたとき、日本軍に抗して台湾の独立戦争に参加した志士である。その遺業を記念して、戦後、台湾には逢甲学院という名前の大学も設立されている。
戦争中、日本人の大陸侵攻に反対して反日運動に参加した台湾人の中には、国民政府の台湾進出の先鋒となって台湾へ戻り、何らかの地位と権益に預かった人がたくさんいるが、丘念台もその一人であった。ただし、この人は利権とはあまり関係がなく、多分、死んだときもお金はほとんど残さなかったと思う。
その丘念台が人を通じて面会を申し込んできた。廖博士が私に代わりに会うようにというので、私が約束の場所まで出かけて行った。もう向こうはすでに五十歳をすぎていたと思うが、台湾の政界に知られた人が自分の年齢の半分にも達しない私のような無名の若者に、
「これからは君たちの時代だ。その時はぜひよろしく頼みます」
と丁寧に頭を下げたのには、驚くよりあっけにとられてしまった。時代の流れが変わると、こんなにも思いがけないことが起るのかとあらためてびっくりしたが、考えてみると、丘念台という人は政治家として、いささか過剰反応のきらいがあるくらい高感度のアンテナを持ちあわせた人であったことがわかる。
恐らく彼は大陸の地図の塗り変わり方を見て、国民政府ももう風前の灯と判断したのであろう。あるいはアメリカ国務省がこうしたあわただしい混乱に対応するために、台湾を自分たちの側に残すための新しい行動に出るだろうと、どこかで耳にしたのかもしれない。事実、国務省の中にも、この際、台湾を、大陸の争いから切り離して、独自の処埋をしたほうがよいという意見があった。そういう意見が大勢を占めれば、廖兄弟のところに出番がまわってくるだろうことは、少し政治に関心がある人なら予想のできることであった。
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