第501回
ダッタンがてふてふに飛ぶ
今回は、日ごろご愛読下さっている読者の
佐藤 実 様から
第494回 ダッタンかタタールか、それともタルタルかについて
メールをいただきましたので、
そのご返答を掲載させていただきます。
■ 佐藤 実 様にいただいたメール
件名:ダッタン・タタール・タルタルについて
出石様。
毎日QさんのHPで、
男のおしゃれについての貴兄の文章を、
楽しく拝見させていただいています。
さて、下記の本を読んだ私の感想文に、
ダッタン・タタール・タルタルの解説が
そのまま書かれていたので、
参考になるかどうか分かりませんがメールで送ります。
佐藤実
●「あたまの漂流」
中野美代子著 岩波書店 2003年飯 3400円
中野美代子といえば、
「西遊記」の研究兼翻訳者として有名な中国学の泰斗である。
この本はエッセー集なのであるが、
最初から最後までなんとなく続いている話しなのだ。
冒頭は、表題に因んで漂流の話。
漂流といえば、日本では鳥島が有名。
鳥島というばアホウ鳥。
東邦大学の長谷川博氏の、アホウドリ繁殖の活動記録
「50羽から5000羽へーアホウドリの完全復活をめざして」
(どうぶつ社刊・2003年)の紹介もしている。
さて、私はこの本で長年疑問に思っていた事の一つを
解明することができた。
それは、「韃靼海峡」という言葉の意味である。
安西冬衛の有名な一行詩に
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った。」というのがある。
韃靼=モンゴルと思っていた私は、
韃靼海峡とは中国・モンゴル国境のある場所のことを
詩語として呼称したんだろう、と思っていた。
ところが、韃靼とはシベリア沿海州地方を拠点とした
ツングース系民族(女真族)のことで、
モンゴル帝国の興亡という激動期をへて、
やがて北方の諸遊牧民族の総称となったもの、だというのである。
これは、タタール(モンゴル族の一部族名)が
ヨーロッパ人の地獄を意味するギリシャ語タルタロスにひっかけて、
モンゴル人のことを恐怖を込めてタルタルと呼んだ事。
それから、ユーラシアにひろく分布する
遊牧騎馬民族の総称となったため、
北東アジア系遊牧民から西アジアのトルコ系諸民族まで、
すべてタタール人と呼ばれるようになった事。
このような名称の変遷と似ている。
ところで安西の詩の原形は、
「てふてふが一匹間宮海峡を渡って行った。」なのだ。
間宮海峡が韃靼海峡に変わったのである。
韃靼(女真族の一部族名)が分かれば、もう明瞭である。
つまり、樺太と大陸の間の海峡のことを
韃靼海峡と呼んでいたのである。
何故なら、もともとアムール河(黒竜江)以南の
日本海側の沿岸地方は女真族の居住地で、清朝領であった。
ロシアは、第2次アヘン戦争(アロー号事件・1856年)の仲裁に入り、
そのお礼としてこの地域を清朝から割譲(分捕った)された。
そして、韃靼海峡と呼ばれていた時代とは、
樺太が大陸と陸続きであると思われていた時代である。
間宮林蔵の探検(1809年)によって、
樺太が島であることが世界的に認知されるのである。
陸続きであるかな無いかの区別として、間宮・韃靼の違いがある。
では、なぜ安西が韃靼海峡と言葉を改めたのか。
そこには、樺太が大陸続きであるという幻想が
込められているのである。
ここに至って、「韃靼海峡」は間宮海峡という事実を示す言語から
「詩語」に昇華されたのである。
■出石さんからのA(答え)
いつもお目通し下さりありがとうございます。
またご親切にもお便りを頂きましたことについても、
重ねて御礼を申上げます。
それにしても佐藤様、読書家で、博識で、
大いに学ばせて頂きました。
感謝の一語あるのみです。
「てふてふが―」の詩を思い出して下さるとは、さすがですね。
よく知られているというだけでなく、
はかなさと異国情緒とを感じさせる
不思議な匂いがあります。
代表作と言っても良いのではないでしょうか。
ただし、私は「間宮海峡を―」が原型であったとは、
知りませんでした。
佐藤様の学識には驚かされてしまいます。
間宮海峡、ロシア人の人たちは
「ネベリスコイ海峡」と呼ぶのだそうです。
間宮林蔵と同じく、ロシアの発見者の名前だということです。
冬には凍ってしまうので、
人が徒歩で、あるいはソリで渡ることも
不可能ではないといわれています。
そして春になると、てふてふが飛んでゆくのですが。
ところで「間宮海峡」の実際の名づけ親は、
かのシーボルト。
後に、間宮がシーボルトに与えた日本地図が
大問題となるのですから、
運命というものは面白いものです。
<てふてふや今神様の毬ついて>(小杉余子)
という句があります。
俳句の世界では蝶は春の季語。
だいたいのところ、
ヒガシザクラが咲きはじめる頃、
モンシロチョウの初蝶が見られるようになるからです。
蝶が、自由に空を飛んでいる様子。
まるで目に見えない、
神様の球をついているようだと、詠んだのでしょう。
けれどもどうして蝶が、「てふてふ」なのか。
蝶でいいのですが、言葉が短いので「ちょうちょう」。
てふてふはその旧カナづかいなのですね。
長(ちょう)は「ちゃう」、鳥(ちょう)は「てう」、
そして蝶(ちょう)は「てふ」とむかしは表記したのです。
でも、てふてふのほうが
蝶の羽の動きをあらわしているように思うのは、
私だけでしょうか。
さらに古く、古語では「テコナ」と言ったそうです。
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