服飾評論家・出石尚三さんが
男の美学をダンディーに語ります

第236回
俳句を詠んでみませんか(4)

俳号というのを知っていますか。
俳句をつくる時の名前ですから、俳号。
つまり雅号の一種ですね。
芭蕉、蕪村、一茶、これ皆すべて俳号です。
芭蕉は若い頃は「桃青」という名を使っていました。

少し俳句を楽しむようになると、
俳号が欲しくなってきます。
短冊かなにかに一句したためて、
その左脇に俳号を添えてみたりすると、
我ながらオヤッと思うほど形が整ってくるものです。

もし宗匠(先生)がいる場合には、
先生が俳号を考えてくれることもあります。
あるいは宗匠の俳号から一字もらったりすることもあるでしょう。
でも、いちばん多いのは、自分で俳号を考える場合でしょう。

見るうちに薔薇たわたわと散り積る(虚子)

虚子の本名は高浜清で、
「きよし」の音を虚子で表現したわけです。
山口誓子などもそうですが、
男なのに「子」をつけることがあります。
これはたいてい謙遜の意味なのですね。
「私などまだまだかけ出しで・・・」
水原秋桜子の本名は、豊。
「秋桜」はコスモスのことで、秋の季語。
たぶんこの季語が好きだったんでしょうね。

コスモスを離れし蝶に谿深し(秋桜子)

実際にコスモスの句を詠んでいます。

起ち上る風の百合あり草の中(たかし)

松本たかしの本名は、孝。
これをひらがなで書いて俳号としたわけです。
このような例も珍しいことではありません。
そうかと思えば、「暮雨」とか「傘雨」の俳号を持ちながら、
結局は本名で通した人もあります。久保田万太郎がその人。
まさに人さまざま。

あるいはまた、鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)
のような例もあります。本名、高橋行雄。
つまり姓のほうも俳号にしてしまった例です。

以上、いくつかの俳号の参考例をあげてみましたので、
一度挑戦してみて下さい。
俳号ができると、今度は雅印が欲しくなってきます。
俳号に因んでの印ですね。
これをおすといっそう句が引立ってくるかも知れません。


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2003年5月17日(土)

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