服飾評論家・出石尚三さんが
男の美学をダンディーに語ります

第235回
俳句を詠んでみませんか(3)

歌枕(うたまくら)という言葉を聞いたことがありますか。
これはふつう「旅の句」を意味します。
「俳枕」ということもあります。
名所旧蹟を訪ねて一句詠む。これも「歌枕」です。

俳句を詠んでみようかな、という気持を持っていると、
小さな旅でも楽しみが深くなります。
また後になってみると、
我ながらすばらしい記録になったりするものです。

五月雨(さみだれ)の降りのこしてや光堂(芭蕉)

これは芭蕉が平泉、中尊寺を訪れ、
光堂を拝した時の句。もちろん歌枕の一種です。
季語は「五月雨(さみだれ)」で、夏の句。
というよりも歳時記で「五月雨」の項目を開いてみると、
必ず登場するほどの名句であります。

芭蕉が光堂を訪ねた前日は、大降りの雨。
その雨上りの日に中尊寺に行ってみると、
辺りはかなり荒れている。
けれども光堂だけは美しく輝いているように思えた。
そこで「五月雨の降りのこして光堂」と詠んだのです。
」というのは疑問なんですね。
何百年もの間、さすがの五月雨も光堂だけには
降らなかったのだろうか、というわけです。
そんなことはない。
そんなことはありませんが、
芭蕉が光堂の美しさが奇蹟的にのこされていたことに
深く感動したんだな、というのは分る。
だから今なお名句とされるのでしょう。

旅をして、さまざまなものが目に入ってくる。
そこで好奇心がわく、感動がはじまる。
その感動を自分なりに記録しておこう、
というのが俳句なのです。
このように考えれば、うんと気持が楽になるでしょう。
自分なりの記録なのですから。
多少、リクツに合ってなくても、超現実であっても、
そこに自分なりの感動が記録されていることが大切なのです。

もちろん五七五という限られた文字のなかですから、
リズム感も忘れてはなりません。
つまり実際に詠んだときに、
自分自身の耳に心地良いかどうか。
この場合にも、自分の耳が基準なのです。
あくまでも個人的な趣味であり、
記録であるところが俳句のすばらしさなのです。


←前回記事へ

2003年5月16日(金)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ