第11回
最初?の晩餐
ビンセントは、
我々の申し出に対し前向きな姿勢を見せ、
条件面は追って提示するということにして、面接を終えました。
思えば、これが私にとって初めての採用面接だったわけですが、
人を雇うということがどんなに難しいか、
その後身をもって体験していくことになろうとは、
予想もできずにいました。
さて、予定されていた日程をこなし
我々はリチャードさんと合流して夕食をとることにしました。
彼が案内してくれたのは、後になってわかったことですが、
台北市随一の日本人駐在員向け歓楽街、
林森北路(リンセンペールー)のはずれにある、
台湾家庭料理の店でした。
オグラ社長は、
以前親会社の経営企画室長をしていたことがあり、
上海進出のときには合弁会社設立の交渉窓口として、
中国人を相手に苦心惨憺の交渉を乗り切った経歴の持ち主で、
見かけによらず、
中華料理にも一家言あるようでした。
オグラ社長によると、
中華料理がいちばん旨いのは、
中国本土ではなく実は台湾であるということでした。
なぜかと言えば、蒋介石の国民党が
宮廷の腕の立つコックをこぞって引き連れてきたからで、
故宮の名だたる美術品・財宝だけでなく、
宮廷美女も根こそぎ引っ張ってきた、
だから台湾の方が女性も美しいのだとのことでした。
オグラ社長が、台湾の合弁会社会長に
台湾の酒の飲み方を教わった話をしながら
リチャードさんと紹興酒の乾杯(カンペー)を繰り返すのを横目に、
私はせっせと目の前の台湾料理を口に運びました。
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