第31回
行くべきか行かざるべきか
「イタリアに行きたいんですけど」という
若いコックに逢いました。
彼は二十歳。
東京のとあるトラットリアで働くコックさんです。
質問されたとき、もうその店で
2本目のワインに突入していて
彼の真剣な眼差しを受け止めるには少々
酔っ払い過ぎていた私ですが、
あまりに綺麗な目をしていた人だったので
がんばって訊いてみました。
一番の心配は、言葉の問題だそうです。
イタリア語を話せないのに
行ってもいいのか、良くないか、いつならいいのか。
その答は、でもやっぱり
自分で決めるしかないのです。
イタリアで料理に携わる日本人を取材しましたが
接客についてははっきりと、一定レベルは必要と言えます。
けれどコックに関しては、
取材した全員がみんな
別々の考えをもっていました。
データ的に言えば、実際に言葉をある程度「話せた」人は
まず皆無に等しく
渡伊前の語学学習をした人でも最長は1年間。
彼は「話す」のはまだまだだったけど
「聞く」のに不便はなかったそうです。
「言葉なんて日本にいても身に付かないのだから、
とにかく現地で覚えた方がいい」
という人もいれば、
「ちゃんと勉強すれば良かった」
と後悔する者もいるし、
「言葉ができなくても腕に自信があればOK」
という意見もあります。
また言葉と技術の
「どちらも無いけど、とにかくがんばった」
など、みんな自分の答をもっています。
ひとつ言えるのは
彼らは初めから答をもっていたわけでなく、
どうしたらいいのかを考えて、やってみて
行動していくうちに出てきた結果だということ。
まずは他の人がどんな思いで、何を考えて、どう行動したか。
知るところから始めてみたらどうでしょう。
コックに限らず私たちは、
たとえ同じ仕事をしていても、隣にいる人が
何を思っているのか、けっこうわかっていないものです。
みんな自分のことしか知らない。
それは、この自由に見える世の中で
とても不自由なことのように思えます。
自分は自分、という答は、
広い世界を知ってから
ゆっくり決めていけばいいのではないでしょうか。
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