■QさんからのA(答え)
私は台湾で生まれ育ったので、
家では台湾語を使い、学校へ行くと日本語の教育を受けました。
最初から両方にまたがった文化の中で育ったと言っていいと思うんです。
終戦の年に私が大学を出ると、今度は蒋介石の政府が台湾に移ってきて、
私は香港に亡命しました。
李登輝さんは台湾に残って一生懸命中国語を勉強しましたが、
私は香港で泣き泣き広東語を覚えました。
香港でかみさんと一緒になって、
かみさんは日本語が出来ないから
今でもかみさんと話しをする時は広東語で話をしております。
しかし、大人になってから覚えた広東語ですから
よく間違えるし、今でもしょっちゅう笑われております。
演説をするんだったら日本語と福建語では上手くできる自信はあります。
広東語もなんとかしどろもどろではありますけどもできると思います。
でも北京語では大会場で演説するだけの自信はありません。
私は日本の普通の人よりは少しは多く言葉をしゃべれると思いますけど、
自慢するほどのことではございません。
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