第245回
■NaoさんからのQ(質問):1970年代の中国

上海のことを色々検索していて、
邱永漢さんのページに辿り着きました。
日本のゼネコンが上海に進出できないこと、
その理由などを読ませていただき、大変勉強になりました。

私が今調べているのは、1970年代のことなので、
もしかしたら場違いな質問だと思うのですが、
教えていただけたら幸いです。
1970年代、日中関係は良好で友好的であった、と言われています。
1973年には北京に日本大使館が開設され、
日中貿易協定なども締結されたり。

そんな1970年代、日本の建設業者が
中国で仕事をするようなことはあったのでしょうか。
技術協力とか、そんなのでもいいのですが・・・
もし、その頃、日本の建設会社が
上海で作った建築物が存在するのなら
ぜひ教えていただきたいのです。
「あるか・無いか」だけでもいいのですが、もしできれば

・大体何年ごろに作られたか、
・どのような建築物か(ビルとか橋とか)、
・今でも存在しているかどうか、
・それを作った会社名

なども教えていただければ幸いです。
本当に場違いな質問で申し訳ないのですが、
宜しくお願いいたします。


■QさんからのA(答え)

私が日本のゼネコンは中国に行って
中国のゼネコンと競争しても負けるという話を
何回も書いたことがございます。
それはどうしてかというと、
中国の方がずっと価格競争が激しいのです。
儲からなくなるまで値段を下げて
お客を取るということをやりますから
おっとりした日本のゼネコンでは競争できません。

もうひとつ、中国ではよその国のゼネコンが
中国で活躍するのを制限しているんです。
たとえば日本の企業が中国へ進出して
工場を建てたりビルを建てたりするときに
どうしても日本のゼネコンに頼みたいといって申請すると、
その物件に限り許可するという形で
1回1回の許可しかくれません。
それに日本のゼネコンが下請けに使うのは現地の業者ですから、
どうしてもそれより高くなってしまいます。
だから日本のゼネコンに頼んだ工事は
中国のゼネコンの工事より三割は高いというのが常識なんです。
当然日本の企業しか日本のゼネコンには頼まないですから
中国で競争はできないということになります。

あなたがおっしゃる1970年代は
そもそも竹のカーテンが下りていて
よその国のものを誰も入れなかった時代ですから、
日本のゼネコンが仕事はやっていないと思います。
どういう理由でそういう時代の事を
知りたがっているかわかりませんけど、
もし国家間の事業としてやっているとすれば
日中間の協会のようなところでお問合わせになるとよろしいと思います。


←前回記事へ 2003年5月2日(金) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ