第2回
お金ほど、簡単なようで簡単でないものはない
バブルの崩壊で大損をした人、
長引く不況、株価の低落で青くなっている人、
せっかく貯めた小金をふやそうとして
失ってしまった人などなどから、
よく「邱先生は、どうしてこんな時代に元気でいられるのですか」
と聞かれる。
いい歳をして始終、外国や国内を飛び歩く
健康さだけを言っているようではないらしい。
バブルは乗り越えたし、
不況と言われる現在でも
景気のよさそうな顔をしているからだろうか。
だとしたら、いつのまにか
「金儲けの神様」に祭り上げられてしまった私としては、
それをいいことに、
「神様には不景気など関係ないですよ」と
答えておけばいいのかもしれないが、
それでは聞いた人が納得しない。
というわけで、いろいろな問いにお答えするわけだが、
中でも多い質問のひとつが、
「どうすればお金が貯まるのでしょうか」というものである。
これにはまず
「お金を使わなければお金は貯まりますよ」
と答えることにしている。
聞いた人は最初、狐につままれたような顔をしているが、
ややあってあまりの図星に笑っている。
また、このバブルで貧乏くじを引いたと思っている人が多いが、
では「貧乏くじを引かなかったのは誰か」といえば、
それは「貧乏な人」である。
ある程度お金を持っていて、貯めよう、ふやそうと思う人は、
つねに貧乏くじを引かされる危険にさらされている。
これまた明快な理屈である。
かと思うと、「バブルで飛び交ったお金は、
いまどこに行ってしまったのでしょう」とも聞かれる。
これには、「どこかにあるのでしょうね。
自分のところにはないだけで」と答えても、
聞いた人は釈然としない顔をしている。
それもそのはずで、ここでは、お金といっても、
現金でない”お金”もまた大きな役割を占めているからである。
現在の社会は、お札としてのお金だけでなく、
そのお金で生産されるものを含めて、
経済が動いている。
お札がふえるだけでなく、生産物もふえる。
その意味で、経済の層が厚くなっているとは言える。
もし、お金だけあってモノがなければ、
インフレになり、モノの値段は高くなる。
しかし、いまのようにモノが溢れていると
高くならない。
アダム・スミスが言ったように、
「金や銀で葡萄酒が買えるなら、
葡萄酒で金や銀が買える」のが経済の基本である。
だから、世の中が豊かになったかどうかを見る尺度としては、
一年間で消費できるモノがどれだけふえたかを見る。
この仕組みが、資本主義の世の中、市場経済の場では、
自然に行なわれる。
しかし、共産主義の国ではこの仕組みが働かないから、
いつまでたってもモノがふえず、貧乏がつづく。
「金は天下の回りモノ」というが、
お金が回らなければ、
つまりお金が物にかわって消費されていかなければ、
経済は回らない。
現在の不況は、まさにこの状態で、
お金が滞っているところである。
みんなが安心してお金を回せるような、
客観的な空気ができないかぎり、景気はよくならない。
このように「お金」には、
簡単にわからない面がたくさんある。
|