死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第3回
「お金の原則」は、バブル前も後も変わらない

バブル経済の時代に、
暴騰した土地を売って巨額のお金を手にした人が、
そのままお金を銀行に預けておいたとしたら、
たしかに大儲けしたと言えるだろう。

銀行としても、その土地を買うために
貸し出した巨額のお金が、また戻って来るのだから、
このままだったら不良債権の問題など発生しない。

しかし、たいていの人は、
こうして手にしたお金を
現金のまま銀行に残すようなことはしない。
より有利な投資を目指して運用しようとする。

預けられた銀行も、さらなる貸出先を探す。
この連鎖が延々と続き、
あるところで投資した財産の価値が急落して、
いったん手にした巨額のお金も泡のように消えてしまった。

この連鎖に連なり、お金をモノに変えていた人は、
みんな貧乏くじを引いてしまったことになる。

この事態を見ると、お金はびっくりして動かなくなる。
すると、社会全体が萎縮して、
金銭的にも沈んだ状態になってしまう。

こういう状態に強いのが中国人で、香港などでも、
株価が下がると下がったところで取引がふえる。
日本人はそうしないから、沈みはじめるとどんどん沈んでしまう。

とはいえ、富の生産がふえ、
社会全体の総和としては、
財産がふえている限り、飢えたり、
革命が起きたりはしない。

一人ひとりの生活は、総理府の調査を見るまでもなく、
それなりに満足できる快適な水準を維持している。

困っているのは、
そういう人たちに給料を払っている社長さんたちだけである。
売上げは伸びないか、マイナスなのに、
給料はきちんと払わなくてはならない。

むかしほどのベースアップはないとしても、
給料を下げるのは問題が多すぎる。
リストラとかリエンジニアリングとか、
片仮名の言葉でごまかしながら、
椀曲的に社員減らしや
配置転換をしてお茶を濁さざるをえない。

社長さんたちの下の部長さん、
課長さんたちの中にも、
べつの意味で困っている人がいる。
この人たちの多くは、バブルの前後に、
一億も二億もするマイホームを銀行ローンを使って購入している。

まだまだ土地の値段が上がると踏んでの買い物だから、
その反動は大きい。
いまや上がらない給料、
出ないボーナスの現実の中で、破産したり
破産寸前にまで追い詰められている人も少なくない。

こうしたお金の引き起こす悲喜劇を見るにつけ、
お金というモノの不思議な力、
不思議な魅力を改めて自覚する人も多いだろう。

しかし、前に言ったように、
「お金を貯めるにはお金を使わなければいい」
といった天然自然の原理のような「お金の原則」は、
バブルの前も後も変わりようがない。

原則とは、変わらないからこそ原則であり、
当たり前に見えるがゆえに、意外に忘れられやすい。
事実、当たり前の「お金の原則」を忘れたために、
今度のバブルや不況で被害を被った人も少なくないのである。

時代を越えて変わらない基本法則を取り上げようという、
このシリーズの出版社側の狙いからすれば、
以前書いた『お金の貯まる人はここが違う』
というゴマブックス(新書)の内容はいまも生きている。
むしろ、お金の問題がより切実になった分、
身につまされるテーマになっている部分が多いといえるだろう。

あえて、前と現在の違いを挙げるとすれば、
かつて一度もデフレ経験をしたことのない人びとが、
いまデフレ状況に直面しているということであろう。
その意味からは、
たとえば現状では以前のように、
どんどん借金をして不動産を買いなさいとは言えない。

いまのところ、借金にはブレーキをかける必要がある。
しかし、この状態がいつまでも続くわけではなく、
また借金を有効に使える時代が来る。
そのどちらにも対応できる心得を持つことこそが、
「お金の原則」にかなうのである。

このたび、この新書本が
「邱永漢の基本原則」シリーズにも組み入れられ、
上製版『お金の原則』として出版されることになったのを期に、
以上のような観点から、
より現在の状況にあった内容に改訂・再編集してみた。





←前回記事へ

2013年4月4日(木)

次回記事へ→
中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」

ホーム
最新記事へ