死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第100回
私の理想の生き方、死に方 その1

年をとれば、性欲のほうはどうしても衰えてくる。
「自己複製の機能」のあることが生きていることの証拠だとすれば、
死に近づくにしたがって生殖作用が衰えるのはやむを得ない。
将来、生殖能力を支える能力の源泉が何であるかを発見する人が現われれば、
平均寿命を延ばすように、
性能力を長くもたせることのできる時代がくるかもしれない。
そうなればまた新しい社会問題が発生することだろうが、
今のところは年をとれば、
性欲は後退して食欲がそれにとって代わる。
食欲のほうも若い時よりは衰え、俗にいわれるように
「食が細る」のが普通である。

しかし、生命力を維持するためには代謝作用が必要だし、
代謝作用を可能にするのは、食べることである。
食べることに魅力を感じないようになったら、
そろそろお迎えも近くなったと見てよいだろう。
ということは、年をとればとるほど食べ物には情熱を燃やし、
美味のためには「千里の道を遠しとしない」
だけの根気のよさが必要であるということでもある。

私は戦争中の「飢餓の時代」に育ったので、
食べ物を貴重品視する習慣が身に染みており、
目の前に出された物は、うまい、まずいにかかわりなく
腹の中に入れてしまう。

まずい物でも、「まずいまずい」といいながら、
口の中に入れ、皿の上に残したまま
下げてもらうようなことは滅多にない。

しかし、同じ食べるなら、うまい物がいいという気持ちは強いし、
この先、そう長いこと、いつまでも食事ができるわけではないから、
一食一食を大事にするように心掛けている。
職業柄、講演先で食事を出されることが多いが、
公民館の食堂で牛肉の一切れも入っていない
ビーフ・カレーを出されることもあれば、
商工会で店屋物の寿司を押しつけられることもある。

ずいぶん長い間、それに耐えてきたが、
さすがにバカバカしくなって、
昼食は新幹線の中でするのか、
講演先に着いてから食べるのか、食べるとすれば、
どこで何を食べるのか、
あらかじめ打ち合わせをするようになった。
また夜は、帰って来られるものなら、九時になろうと、
十時になろうと、家へ帰ってからタ食をする。
駅弁や列車食堂の料理のまずさに辟易しているからである。
どうしても講演が遅くなり、
夜は講演先で食べるよりほかない時は、どこで食事をするか、
あらかじめ打ち合わせをし、
こちらの希望を相手に伝えてもらうようにしている。

その2へ続く






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2015年7月13日(月)

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