第91回
「寄る年波」の自覚
駿馬も老いれば駄馬に等しWという諺がある。
このことは、世の中には生まれながらの駿馬もあれば、
駄馬もあるということであり、同時にまた年をとれば、
駿馬も駄馬も皆、同じような運命をたどる、ということでもある。
自分が年をとるまでは、そういう実感はほとんどなかった。
しかし、「寄る年波」という言葉もあるように、
波のように老いはくりかえし押し寄せては引き、
引いてはまた押し寄せてくる。
ショッキングな出来事に遭遇すれば
一夜で白髪になってしまうこともあるそうだが、
たいていはほんの少ししか変化は起こらないから、
昨日と今日ではほとんど見分けがつかない。
それが積み重なって、三年たち、五年たつと、
さすがに「年は争えないものだ」ということになる。
たとえば、記憶力である。
私は自分の記憶力に対して、若い時から自信を持っていた。
どんな些細なことでもよく覚えていた。
人と話をすると、誰とどこまで話をしたか記憶していたので、
同じことを二度くりかえさないですんだ。
交友の範囲が狭かったこともあるが、
読んだ本の内容もほとんど覚えていたし、
人にいわれたことも覚えていたので、メモをとる必要がなかった。
人によっては、旅行先までトランクに何杯も参考文献を持って歩くが、
私は一回の連載が十枚なら原稿用紙は十枚しか持って歩かないし、
三十枚なら三十枚しか持って歩かない。
資料は一切、持ち歩かなかった。
この習慣は今も続いている。
というのも、原稿を途中まで書いて、
確かあの話はあの本の何頁くらいのところに載っていたなあ、と思い出すと、
正確な引用をするために、
その部分だけ空白にしておく。
家へ帰って書庫の中に入り、必要な本を引っ張り出して、
頁をめくると、ちゃんと記憶通りのことが書いてある。
もし間違いがあるとすれば、細かい数字くらいなもので、
記憶違いがあったというよりは、記憶しようとしなかったせいである。
その部分をあとで書き込めば大体、間に合ってしまう。
それくらい記憶力に自信があった私でも、六十歳をすぎた頃から、
少しずつ記憶のテープがかすんで、
固有名詞を思い出すのに時間がかかるようになった。
身体のほうも、糖尿病をかかえたまま二十年間も勝手放題に生きてきたが、
六十五歳になるとさすがに衰えを自覚するようになった。
友人たちの中には、もうとっくに死んだ者もあるが、
この一、二年、葬式に行かされる回数がめっきり多くなった。
たいていの友人は死なないまでも、とっくにリタイアしていて、
久しぶりに会うと、やれ足が痛くて歩けないとか、
やれ心臓がおかしくて動悸がするとか、しきりに故障を訴える。
私の場合はさすがにそれほどのことはないが、
視力の衰えも自覚するようになったし、
何よりも、海外旅行に出かけた時、時差ボケからの恢復がうんと遅くなった。
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