第84回
資産と事業の継承者は違う
もちろん、そういう気を起こさせるだけの条件が職場にあることが前提である。
台湾の大半の企業は家族会社であり、
上場していても役員のほとんどが一族でかためられている。
こういう会社では、一生働いても会社のトップに上がることは期待できないから、
社員の中でも有能な者ほどやる気をなくして機会を見て独立をする。
中国人社会の企業は核分裂が盛んで、
社会の構造から来る動きと見てよいだろう。
だから、もし働いている者にやる気を起こさせたかったら、
それぞれの責任者を将来の後継者にする覚悟をしなければならない。
幸い、私の家では家中が一代限りの仕事の選び方をしており、
子供たちのうち誰一人私の後を継ごうという形跡が見えない。
わずかに長男が似たような仕事をやっており、
海外不動産とか、ゴルフ場とか、
自分の守備範囲の事業にかかわってくれているが、
それも仕事のほんの一部にすぎない。
となると、私のこまごました事業のそれぞれの後継者は、
今私の仕事の片腕になっている人たちということになる。
私はそれでかまわないと思っている。
自分の親から受け継いだ資産や事業なら、
親の意志にもとづいてまた子供に遺すということが考えられる。
また子供に手伝ってもらって仕上げた仕事なら、
子供に後を継いでもらうのもごく自然の成り行きである。
しかし、創業の時から自分の手塩にかけて
育てた部下に手伝わせて成功させた事業を、
ただ私の血筋をひいた子供だからというだけの理由で
私の死んだ後に子供がそっくり引き継ぐ
というリクツは成り立たない。
事業を引き継ぐ人と、資産を引き継ぐ人は
別々であってよいと私は思っている。
ところが、世間の親の中には
自分がやってきた事業を
何が何でも世襲にしたいと考えている人間が結構たくさんいる。
中小企業で、ほかに引き受け手もない事業とか、
100%近い株主がすべて身内であるとかいった事業は、
息子や娘婿が後を継ぐのは別に不思議なことではない。
創業者社長が自分の事業を大きくし、
上場した後も依然としてオーナー社長であり続ける会社で
創業者の息子が後を継ぐことも、
まあ、許容範囲内といってよいだろう。
しかし、創業者社長でも本田宗一郎さんのように、
自分の身内に一切、後を継がせないように、
自分の子供はもとよりのこと、
自分の弟まで会社から身をひかせた見事な人もある。
この競争の激しい経済社会で、
一族が会社にしがみついていたのでは、
会社そのものが滅びてしまう、
というのが本田さんの論理である。
これほど引け際の美学に徹した人は他に類例をみない。
反対に東京ガスのように、
天下の公器になってしまった会社を、
三代にわたって引き継がせた例もある。
さすがに世問の風当たりが強く、
社長になった息子は肩身の狭い思いをさせられている。
これなどは親に知恵がないという典型であろう。
もし「親の七光りでなったのではない。
経営者としての腕を見て下さい」というのなら、
ほかにいくらでも能力を発揮できる場があるのだから、
別の舞台で踊らせれば、もっとのびのびとやれたのではあるまいか。
自分でつくった企業は大きくなっても自分の企業だと、
創業者社長はつい考えてしまう。
たしかに、本人が元気で、企業も順調な間はそういう見方もできる。
しかし、それは社長が店じまいをしたければ、
店をたたんでしまうことのできるスケールにとどまっている間のことであって、
従業員が三百人とか、五百人とか、
あるいはそれ以上になると、オーナーは自分であっても、
企業は自分のものでなくなってしまうものである。 |