第54回
ネクタイは男のおしゃれのポイント
私は自分がベスト・ドレッサーだと思ったことは一ぺんもないし、
人に比べてとくに着る物にこだわっているとも思わない。
しかし、まったく着ることに無関心だとは思われたくないし、
趣味が悪い人だなあとも思われたくない。
反対に、一寸のスキもないおしゃれだなあとも思われたくない。
なかでも、じじむさいカッコだなと思われることには
一番抵抗を感ずる。
たとえば、私はオーダー・メイドの洋服はほとんど着ない。
四十代の頃は、小林秀夫とか、
石川群一とかいった男物の
ファッションデザイナーのオーダー・メイドを着ていた。
これらのデザイナーの作品は
ファッション雑誌の巻頭を飾っていたし、
ようやくサラリーマンの間で親しまれるようになった
既製服メーカーのアドバイザーもやっていた。
しかし、オーダー・メイドをこなせる職人は
少なくなって行く一方だったし、
既製服の技術はますます向上してきたので、
私のように既製服で充分、間に合う体型の人間は、
わざわざ高いお金をかけて
仕立ててもらうほどのことはなくなった。
それでも日本の大社長とか、
有名人がどんな服を着ているか、
ためしてみたいと思って
ーぺんだけ銀座の有名店で仕立ててもらったことがある。
しかし、二回も仮り縫いをしてできあがってきた洋服は
一回、腕をとおしただけで二度と着ることはなかった。
大社長をやっているような人は
もうかなりの年配になっている人が多く、
服を着たり脱いだりする時も楽にできて、
着ている間、肩がこらないように
大き目にできていることを好むらしく、
猫背にも似合うように仕立てられている。
それを着るだけでじじむさく見えるような服は
私が一番苦手とするところだから、
当時としては必ずしも安くはなかった
十何万円はただの一ぺんでパアになってしまった。
よほど私は経済的にできているとみえて、
日本製の既製服でもA6だったら、
ほとんどそのまま着られるし、
イタリア・サイズなら48で間に合ってしまう。
そうなると、あとは自分の好みの問題で、
どこのメーカーのものにするか、
はその時どきの気分や偶然にとびこんだ洋服屋で
手にとった物に左右される。
私の好みでいえば、イギリス物はダンヒルとアクアスキュータム、
イタリア物ではゼニア、バレンチノ、ミラ・ショーン、
フランス物ではランバン、サンローランといったところだろうか。
ブレザーだけならミッソーニというのを着ることも多く、
日本製で私が唯一、時どき着るのは
名古屋の仕立屋で英国帰りのカミヤというマークのものである。
シャツはさきにも述べたように、
ヨーロッパの物もアメリカの物もひとわたり着てみたが、
値の張る割にはどうも肌に合わず、
最終的には日本製に落ち着いてしまった。
仕立券つきのワイシャツを盆暮れにもらったりするが、
私に一番しっくりするのは
イタリアあたりのメーカーのライセンスで
日本でつくられているものであり、
金額にすると一万円ていどのものである。
襟の形は普通で、カフス・ボタンの要らない
最も目立たないものが気に入っている。
その代わりネクタイは男の唯一のおしゃれのポイントであるから、
割合に変化を求める。
ミッソーニとか、ジョルジュ・アルマーニとかいった
色彩や若さを誇るネクタイもあれば、
バレンチノやランバンやフェンディのような
ごくオーソドックスなものもある。
エルメスとか、グッチとかいった一時もてはやされた
ブランド物はまったく身につけなくなったが、
世界で一番高いミラ・ショーンの裏表使えるネクタイは
二十本くらい持っていて、
今でも旅行に出かける時は持って行くことが多い。
しかし、ネクタイに対する好みは変わらないようでも
流行に応じて、色彩やパターンに対する好みが
少しずつ変わるし、また同じメーカーのものを長く使っていると、
あきがきて別のメーカーのものに心が移る。
もうあまり浮気をしなくなった男の
ささやかな浮気心の表現とでもいったらいいだろうか。
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