第40回
豪華な船旅もなれれば退屈
そういった意味では、
旅行は第一線で働く人々の忙しいスケジュールの中に組み込まれて
然るべきものである。
そのスケジュールもあんまりゆるやかなものでないほうがいい。
忙しいほど誰でも、「忙中閑あり」と、
のんびりした旅行を夢見る。
新聞をみるとクイン・エリザベス11号による
豪華船旅のニュースが載ったりしている。
「一ぺん船に乗って世界中をゆんびり旅がしてみたい」
と考えたりする人は意外に多いが、
まず船旅の値段の高さに舌を捲く。
しかし、奮発すれば、それが払えないでもない人は、
いつかこの夢を実現してみようと思い続ける。
もし私が船旅になれておらず、
また、旅行の体験をそれほど積んでいなければ、
恐らくそれに同調しただろう。
生憎と、私は二十代の終わり頃、しばしば船の旅をやった。
船の旅といっても私の場合は
香港、横浜、神戸の間をプレジデント・ラインや
フランス郵船で行き来しただけのことであるが、
船の旅ほど一等、二等、三等の区別のきびしいところはない。
二十代に自分でお金を稼ぎ、
ふところ具合のよかった私は、奮発していつも一等に乗った。
はじめて乗る豪華船は、キャビンの設備も素晴らしいし、
何よりも料理の賛沢さには目を見張る。
メニューは毎日、変わるし、昼も夜もワインは、
白と赤と一本ずつ付く。
実はその分も船賃の中に入っているのだが、
私のようにほんの一口しかたしなまない人にとっては、
ほとんど手つかずなのに、
食事のたびに目の前でまた新しい白と赤の栓が抜かれる。
ああ、何ともったいないことをやるんだろうと、
ハラハラするが、まさかそれを人に訴えることもできない。
それでも二日もすれば、すぐになれてしまうが、
同時に賛沢な食事も、ただの退屈な茶飯事に変わってしまう。
豪華なメニューも同じシェフによって
つくられた大して代わり映えのしない
タダの平凡な献立になってしまうし、
一等甲板を歩きまわる金持ちそうな老人夫婦も、
ただの爺さん、婆さんになってしまう。
バンドがききなれたメロディを演奏すると、
いつもとび出してきて踊るのは、出しゃばりのカップルだし、
運動不足で肥るのを必死になって防いでいるにすぎない。
横浜ー香港間だから、四日もすれば
岸壁に船が着いてすぐにも下船ができるからよいが、
これがーカ月も続くことを考えたら、
想像しただけでもゾッとしてしまう。
船窓から見える海原はいつも同じだし、
食堂で出会うメンバーもいつも同じ老人ばかりである。
来る日も来る日もレストランのメニューは同じ味。
これでうんざりしないほうがどうかしている。
現にある時、私のところへ出入りする青年で
伯父さんのお供をして
クイン・エリザベス11号に乗りこんだ青年があった。
ついに辛抱しきれなくなって、
途中から飛行機に乗って帰ってきた。本人だけでなく、
伯父さんもよほど退屈したというから、
おおよその見当がつくというものであろう。
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