死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第33回
「行きつけの店」に行かない

日常の生活においても、
また事業や学問や趣味の追究の過程においても
ほぼ同じことがいえる。
たとえば、朝、自分の家を出て
会社勤めのために電車に乗りに行くとする。
通る道は幾通りも考えられるが、何回も歩いているうちに、
しぜんに歩く道がきまってしまう。

距離的に一番近いとか、途中が混雑しないとか、
歩いていて気分がいいとか、理由は人によって違うだろう。
しかし、一ぺんきまってしまうと、それが習慣になって、
同じことのくりかえしになる。
同じことのくりかえしの中には、安心感はあるが、
感激や興奮はない。当然、創意工夫の余地もない。
また、たとえば、友人や取引先を連れて食事をしに行く。

たいていの人は、「行きつけの店」がきまっていて、
頭に思い浮かぶのもそうした店なら、
足の赴くのもそうした店である。
「行きつけの店」なら、顔もきくし、自分の好みがどんなものか、
仲居さんやお女将さんも覚えてくれている。
その場で支払いをしないですむし、
いちいち明細書と晩み合いをしてサインをする必要もない。
下にもおかないもてなしぶりをお客に見せつけて、
面目を施すこともできる。

しかし、「行きつけの店」にばかり行っていると、
人からちやほやされていい気分にはなるかもしれないが、
新しい発見はなくなる。
どんな味のよい店でも、しょっちゅう食べておれば
感激がなくなるし、どんなにサービスのいい店でも、
同じ店にばかり行っていたのでは他との比較ができなくなる。
サービス業は変化の激しいもので、
ちょっと目を離しているうちに、
新しい商売のやり方が次々と登場してくる。
自分が直接その商売に従事していなくとも、
それぞれの業界で何が起こっているかを知っているのと、
知っていないのとでは、緊張感も違うし、
対応の仕方も違ってくる。
だから、常に新しい見聞が必要になる。

お金を払って食事をしに行くところだから、
どこであっても大した変わりはないようにみえるが、
そういう一見、何でもないことでも、
三回に少なくとも一回は、
「行きつけの店」に行かないように心がけなければならない。

「行きつけの店」に行かないとなれば、
それは今までに行ったことのないところに行くということであり、
行きあたりばったりにどこかへとび込むか、
でなければ、あらかじめ行くところを
探しておかなければならない。
そうすると、いやでもふだんから
レストランや料亭の動静に気をつけておかなければならず、
どこのレストランがおいしいか、
どこに新しいレストランができたか、
どの料亭にはどんな特徴があるのか、
自然に知識が耳に入るようになる。
今まで行ったことのない店に行くことは、
別に冒険というほどのことではないかもしれないが、
小さな探検であることに間違いない。
いつも胸のわくわくすることであり、
好奇心を満足させることである。
それは世の中がどう変化しているかということに対する
「小さな覗き窓」であり、
ふだんから「覗き窓」を覗く習慣を身につけていると、
世の移り変わりがしぜんに頭の中に入ってくるのである。





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2015年2月4日(水)

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