第23回
四十歳は人生の峠
結局、約1年の間、私はプラプラして暮らした。
まともな作品は書かなかったが、
約三十社の会社の経営コンサルタントをやっていたので、
会社の社長さんたちと会うために、
大阪や名古屋のホテルを泊り歩いた。
自分の原稿用紙に向かっても何一つ書けなかったのに、
旅先のホテルの便箋紙に向かうと、スラスラと詩が書けた。
詩というよりは歌謡曲の作詞のほうの詞であった。
それを東京へ持ち帰り、
ビクターや東芝レコードやテイチクに売り込みに行った。
ビクターで当時、売り出し中の橋幸夫君と三沢あけみちゃんに、
それぞれ「恋のインターチェンジ」と
「南国の花」という歌を歌ってもらったところ、
二枚ともヒットになり、年が明けると、
ビクターからヒット賞を二つもらった。
もう一枚、東芝レコードで坂本スミ子さんに「軽蔑」
という歌を歌ってもらったが、
これは空ぶりに終わった。
でも三枚レコードを出して、2枚ヒットしたのだから、
打率はそんなに悪くなかったと思う。
「うちの専属作詞家になりませんか?」
とビクターの人に誘われたりしたが、
もうその頃には作詞をすることにはあきあきしていた。
芸能界を裏から覗くチャンスがあって、
芸能人や作詞家や作曲家の地位の低さに改めて驚いた。
一つには友人にいわれたように、
一年たつとお先真っ暗になっていたのを
ケロリと忘れてしまったこともあるが、
以後、再び芸能界とかかわりを持つことはなくなった。
ふりかえって考えてみると、男の厄年というのは、
馬車馬のように働いてきて、四十歳になると、
人生の峠とでもいうべきところに出てくるかららしい。
峠というところは、来し方をふりかえると遥か下まで見えるし、
もう上は先まで見えて来ている。
二十代、三十代の時は、夢も多いし、情熱にも燃えている。
「俺だって頑張れば、社長や重役くらいにはなれる」
と意気込んだこともある。
ところが、四十歳を越えると、自分が置かれている位置と、
この先どこまで進めるか、
大体、見当がついてくる。
「やっぱり現実はきびしいなあ。もう先は見えてきたよ」
ということになると、突然、夢も希望も消えて、
浮世のきびしさと人間世界の醜さだけが目につくようになる。
もうーつ、四十歳を越えると、
肉体的にもあるていどの変調をきたす。
私自身はあまりそういう具合には感じなかったが、
これまで登り坂から平坦地に出、
上へさらに登るよりは
下り坂にさしかかる時期に立ち至ったのであろう。
売薬の広告を見ても、たいてい、四十代に的を絞っている。
それも保健薬とか、強壮剤の類いばかりである。
三十代までは、働いて消耗する分より、恢復力のほうが強く、
多少無理をしてバテても、すぐまた元へ戻ってしまうから、
ほとんど自覚がない。
これに対して、四十代になると、
よく働くようになるせいもあるが、
責任のある地位におかれると心労が絶えないし、
消耗した分を取りかえす力がだんだん弱くだるから、
疲労を覚えるようになる。
仕事が思うようにいかない上に、
深酒して徹夜や不眠をくりかえすと、
身体がもたなくなってくる。
精神的な打撃は四十歳のはじめにやっ
てくるが、四十歳すぎて無理をくりかえすと、
肉体的な消耗が激しくなって
五十歳の坂が越えられない人が出てくる。
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