死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第21回
心がけて老化現象を避ける

私などは何か目新しいものがあると、
すぐにとび出して見に行くほうである。
新しいインテリジェント・ビルができても、
新しいショッピング・センターが出現しても、
今までのビルとどこが違うか、興味を持って覗きに行く。

新しいディスコをつくっている人にも友達がいるが、
オープニングの案内状をもらっても、
さすがに「もういいや」と思うようになった。
それだけ「年は争えない」ということなのだろうが、
どこそこに新しい料理屋ができた、
とても斬新で美味で評判になっているときくと、
何はさておいても、試しに行ってみる。
やはりそれだけ食いしん坊だからであろう。

それにしても年齢によって
興味の対象が異なってくるのは避けられそうもないが、
好奇心が旺盛なこと自身は少しも変わりはない。
何に好奇心を持つかは、人によって相違があるのは当然だけど、
なるべく広く、なるべく触覚を働かせて、
すぐとんで行くだけの腰の軽さがあることが大切だと思う。
世の中の動きに対しても、
風俗の変化に対しても強い好奇心があれば、
時代に遅れることはなくなる。
変化の読みが正しければ、打つ手も当然、正しいだろうし、
お金を投じてもそれに見合う成功で報いられるだろうから、
事業をはじめても失敗することも少なくなる。

しかし、六十歳すぎてから、四十歳の働き盛りの人と同じように、
何にでも興味を持ち、
どんな新規事業にも成功できるとは限らない。
意識的に新しい風俗や思想を受け入れようと考えれば、
年輩者でもそれがまったくできないとはいわないが、
何の抵抗もなしにそれを受け入れるのには
いささか経験を積みすぎて、固定観念ができすぎてしまっている。
たとえば、六十歳になった人に、食品店をつくれ、
といってもできないことはないが、
ディスコの店をひらけということになると、
ちょっと無理であろう。
新しい性風俗を理解しろといわれても、
どだい感性に差が生じているからである。

そういう意味では、やはりその人の過去と
年齢にふさわしい好奇心の持ち方があって然るべきであろう。
たとえば、六十歳すぎて
ディスコに行く気にはならないかもしれないが、
どんな株を買えばよいか、どんな土地を買えばよいか、
といったことなら興味を持つことができるだろう。
進んで新しいことをやることは、
たとえそれが本人にとって昔とった杵づかであっても、
昔をふりかえることではなくて、先へ進むことだろう。

年寄りになっても生きている限り、
まだ使い残しの時間がある。
それをどう使うかに関心を持てば、
好奇心をもって未来を追うことができる。
すなわち若さを保つ第三の条件は、
すでに「使ってしまった時間」にこだわるより、
「残された時間」をどう使うかについて
一生懸命になることである。

年をとると、人間はどうしても
自分の体験をもとにして現に起こっていることを
判断しようとする。
すると、釈然としないことが多くなって「今時の若い者」と、
つい愚痴のひとつもこぼしたくなってしまう。
しかし、世の中は時代とともに
だんだん堕落するということはない。
時代が下がるにつれて、
だんだん末世になってゆくということもない。
むしろ、そういう発想をするようになったら、
年をとった証拠であるから、
老化現象の特徴に数えられるような言動は
一切、避けるにこしたことはない。

たとえば私が、同年輩の友人たちとあって
久しぶりに話をはじめると、
それこそ、ものの三分もしないうちに、
さっきいったことをくりかえすのを耳にする。
なるほど、老いのくりごととはこういうことを言うのだな、
と思いあたるだけに、私は話をしていても
同じ相手に同じ話をくりかえさないように心がけている。

また、すぐ孫自慢をはじめる人に出くわす。
これも老化現象のーつだと思うから、
孫の話は金輪際しない。
心がけて、同じことをくりかえさないことと、
孫の話をしないようにすると、
何となく自分が若がえったような気になる。
若い時のように、運動靴をはいて、
白いズボンにラケットを手に持って、
今にも走りだしたい気分になってくるのである。





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2015年1月7日(水)

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