第1回
まえがき
私が「年をとらない法」というタイトルの文章を
サンケイ新聞に連載したのは、
昭和四十二年のことであった。
なぜ、そんな妙ちくりんなタイトルの文章を
突如として書いたかというと、
この調子で平均寿命が延びていったら、
一年たつ度に国民の平均年齢がーつずつ上がり、
二十年もたったら、ほとんど間違いなく老齢化社会になるだろう。
だから、いまのうちに、年をとった時の準備をしておかないと
間に合わなくなるぞ、と思ったからであった。
私はあわて者で、いつもやることが人より早いから、
うしろをふり向いても誰もついてこないという目に
しばしばあわされる。
しかし、年をとることだけは確実に起こるから、
あッという間に二十何年がたって自分も二十何年、
年をとってしまった。
私自身、六十代も半ばに達してしまったのだから、
私より先輩の人たちは私より年をとったにきまっている。
年をとるについては、年をとった人を見たり、
年をとった人の行動を観察しても、
あまり参考にならない。
というのは、若い人から見ると、
年寄りは昔から年をとっているように見えるが、
本人にしてみれば、はじめて年をとり、
はじめて経験することばかりだから、
年寄りとしては新人にすぎない。
六十代の年寄りは「六十代の新人」だし、
七十代、八十代も、それぞれ七十代、
八十代をはじめて経験する新人にほかならない。
二十何年前、私は壮年期の人間として
老年になった時のことを予想して「年をとらない法」を書いたが、
いまは老人としての初体験をしながら、
どうやって老年期を上手に生きるか、
思案する立場におかれている。
若い時は、あんなこともやりたい、こんなこともやりたい、
と夢がふくらんだが、一つ年をとる度にーつずつ可能性を失い、
あれもやれなかったし、これもやれなかったと、
夢が一つずつ凋んで行く。
こうなったら、夢をふくらませるより、
夢が凋まないように、ブレーキをかけながら
下り坂を下りるよりほかない。
そのためには今までやっていたことを、
途中で突然やめるよりは、
「死ぬまで現役」で押し通すほうがよい。
その代わり死ぬまで元気一杯でやらなければならないから、
健康にも留意する必要があるし、
何よりも精神的に若さを保つように心掛けなければならない。
この『死ぬまで現役』は老人を初体験するにあたっての
自分自身の心構えを自分自身に言いきかせるために
書いたようなものであり、
恐らく私と前後する年齢の人にとっては
身に覚えのあることは1つや二つではあるまい。
老齢期を上手に生きるためのお役に立てば、
こんな嬉しいことはない。
なおこの本が陽の目を見るについては、
昭和六十三年二月号から平成元年十月号まで
スぺースを提供していただいた「オール生活」編集長芝崎正さん、
実業之日本社第二出版部長島田次雄さんのお世話になった。
最後になったが、ここに感謝の意を表したい。
平成元年八月吉日
邱永漢
バリ島に向かうガルーダ航空機上にて
|