第215回
日本酒の造りの歴史 その5
戦国時代は地方酒が興隆する
戦国時代には貴族社会の中央集権が破綻し、
戦国武将の城下町を中心とした地方都市の発展があり、
「西宮の旨酒」を始めとして、地方の酒造りが盛んになる。
年貢米、商品米が集中する港湾都市、
あるいはその後背地の地方酒が京に進出して、
僧坊酒と競うようになる。
地方酒の代表的なものに、
「摂津西宮の旨酒」、「加賀宮越の菊酒」、「博多の練貫」、
「伊豆の江川酒」、「近江坂本の酒」、「備前児島の酒」、
「備後尾道」、「三原の酒」、「豊前小倉の酒」、「伏見の酒」
などがあげられる。
酒造りも精緻化が行われ、酒質は多いに向上し、
仕込みも大型容器を使って大量にできるようになった。
大和菩提山正暦寺では麹米、掛米ともに精白米を用いた
「諸白酒(しょはくしゅ)」が造られ、
「天野酒」を圧倒し天下一の評判を得る。
酒造り技術も寒造り、三段掛けの現在の造りの基本が確立する。
この「諸白酒(しょはくしゅ)」は酒造りの革命であり、
今日の清酒の原形となっている。
戦国時代は、地方の酒造メーカーの競争により、
飛躍的に醸造技術が発展をとげた。
また、清酒造りの地方への分散と
大都市への流通形態が形成されつつあった。
慶長二年(1598年)に豊臣秀吉が醍醐で行った花見では、
諸国の名酒を献上させている。
また、米を原料とした別の形態の酒である、
焼酎や味醂が登場したのもこの時代であった。
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