“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

第63回
地酒の思い出

私が学生時代を過ごした昭和40年代では、
大手の酒を燗で飲むのが普通であった。
当時は剣菱、菊正宗など飲んでいたが、
他には三増酒のべたべたした甘さの酒が多くて、
大手のなかでも銘柄を色々と選んだ記憶が残っている。
その頃に読売新聞で越乃寒梅が幻の銘酒として紹介されて
話題を呼んだが、地酒ブームはまだまだ先の話だった。

大学院を終えて自動車メーカーに就職した
昭和50年代から60年代、平成にかけて、地酒の品質が向上し、
地方の銘酒が全国に知られるようになってきた。
その頃からだんだんと地酒にも興味を持つようになってきたが、
東京でも地酒を置いてある
小売店、居酒屋というのは限られていた。

当時、池袋から南長崎に移転した甲州屋に巡りあえて
地酒に対する興味がいっきに広がったが、
残念ながら店主の児玉光久さんは亡くなった直後で、
店の経営を引き継いだ光久さんのお姉さんから
思い出をきくしかなかった。
甲州屋に毎週土曜に常連が集まって
小上がりに各自つまみを持ち込んで
地酒の飲み比べをしていた頃が懐かしい。

この頃に同じ蔵の酒でも様々なスペックの銘柄があること、
同じ銘柄でも造りのタンクによって微妙な違いがあること、
日本酒も熟成させると旨みがでてくることなどを学んだ。
当時通った居酒屋は新宿の「地酒屋」、
池袋の「味里」と渋谷の「みつひさ」。
「地酒屋」は本当に安い値段で美味しい酒と酒肴を楽しめた。
いつでも満席。
しかし、この店は経営的には苦しかったようで、破綻。
「味里」も閉めたが、
店長の杉田さんが高田馬場「真菜板」を開店。
「みつひさ」は店主の橋浦さんが
店を閉めたまま満を持している。

当時に比べると現在は地酒が日常のどこにでもある。
しかし、当たり前のなかの工夫が足りないところに
現在の地酒の不振がある。


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