第103回
「大中華経済圏」はもうそこまで来ている その3
戦後の経済繁栄を通して、
台湾人と香港人が得た教訓は
「経済成長のあとに残るのは不動産だけ」
という点で一致している。
そういう反応のすばしこさでは中国人は天下一品だから、
大陸が門戸をひらいて以来、
海外華僑の目指す大陸投資は
不動産一辺倒と言っても過言ではない。
とりわけ香港からの投資は
ほとんどが広東省、上海、北京などの都市再開発に集中している。
台湾からの投資のほうがまだいくらかましだが、
それでも不動産投資というと目の色を変える人が多い。
一国の経済の発展を考えた場合、生産が年々順調にふえて
富の創造ができなければ、国民が豊かにならないし、
そういう国民がお金を払ってくれなければ、
土地や建物だって値は高くならない。
最初から不動産にばかり目を向けるのは
本末を転倒した発想と言ってよいだろう。
健全な国づくりというプログラムをたててみれば
すぐにも気のつくことだが、
華僑の力だけでは不充分なことは明らかである。
商人ばかりで、職人がいなくとも困るし、
農業が近代化しないまま放置されても困る。
なかでもさしあたり、インフラの整備、資源開発、製鉄、
ステンレス、アルミ、石油化学、セメント、ガラスなど
基礎的な生産事業の開発は焦眉の急である。
自動車、家電、コンピュー夕などの耐久消費財の生産も
同時進行の必要がある。
こういう方面の仕事になると、
日本人の技術力と資金力が俄然、ものをいう。
中国とアメリカの関係がギクシャクしている時期に
中国政府があえて日本の天皇を招待したのも、
できればそうした分野での
日本の援助を期待しているからであろう。
何も期待していなかったと言えば、これまた嘘になる。
しかし、もしこの一事をもって
中国は日本の援助がなかったら困るだろうと思ったとしたら、
これまた間違いであろう。
歌の文句にもあるように、日本人にとっては
「昨日の敵は今日の友」かもしれないが、
これをもう一度ひっくりかえせば、
「今日の友は明日の敵」ということにもなる。
二十年来のことを頭に浮かべてみるがいい。
中華人民共和国を承認する前、
日本は台湾の国民党政府を中国の正統な政府と見なし、
中華人民共和国をままっ子扱いしてきた。
これは主としてアメリカの顔色を伺いながらやったことである。
ところが、中華人民共和国の国連加盟がきまり、
ニクソンが頭越しに北京に乗り込むと、
日本も中華人民共和国を承認し、
これまでの台湾との関係を冷酷無残に断ち切ってしまった。
アメリカはまだ「台湾関係法」をつくって
台湾との関係を維持したが、
日本政府は北京のご機嫌を損ずることをおそれて、
台北に銀行の支店をつくったものかどうかについてさえも、
いちいち北京にお伺いをたてるようになった。
台湾は日本政府から完全に見放され、
一時期は新聞社の特派員が一人もいなくなり、
台湾のニュースは日本の一流新聞から
完全にシャット・アウトされてしまった。
そうしたどん底から台湾の工業化がはじまり、
対米貿易の黒字化が拡大されるようになると
わずか二千万の人口で一千億ドルに近い
世界一の外貨準備高を擁する国にのしあがったのである。
その実力が評価されて最近では、ロシア、フランス、
ドイツ、アメリカと閣僚級の政府代表が次々と
台北に乗り込んでくるようになった。
一番歴史的にも距離的にも近い日本が
一番しんがりになっている。
日本からの援助が全くない状態でも、
台湾は経済的に奇跡的な発展を遂げることができたのである。 |