第90回
「会社」社用族をしのぐ「社会主義」社用族
だから長い間、私は日本はもとよりのこと、
台湾や香港の企業が中国に進出することに対して
難色を示してきた。
「対中国投資はなるべく低速運転で」と私は書いた。
中国政府がマルクス・レーニン主義を信奉し、
管理経済のままで事がすむと思っている限り、
経済の発展は期待できないし、
外国から投資をしても無駄ダマに終わってしまうにきまっている。
幸いなことに、旧ソ連の指導者に比べれば、
中国の指導者のほうが遥かにプラグマティックで、
時代の動きや、利害の変化にずっと敏感だった。
おそらく十何年も前にケ小平は
このことに気がついていたに違いない。
しかし、それを強行するには政治的な抵抗があまりに大きかった。
だからまず農業の分野で自由市場を許し、
深セン、珠海、汕頭、厦門をはじめたのである。
すると、いままで抑え込んできた経済意欲に火がつき、
農業でも工業でもみるみる生産に活力がついたから、
もはや誰の目にも勝負は明らかになった。
なかでも留学生を一年に何万人も
海外へ送り出す政策が発表された時、
もうこれで中国の運命はきまったと私は確信した。
若者たちに一度でも自由の空気を吸わせたら、
それこそ「人民の阿片」を吸わせたようなものである。
かつて台湾でも同じことが起こっている。
国民党政府の要人たちは海外渡航をきびしく制限していたが、
自分らの子弟が海外に出られる抜け穴をつくるために、
海外留学の規定をつくった。
どんな「狭い門」でも、
一人通り抜けるだけのスキマができれば、
同じ条件を整えた別の人も通り抜けることができる。
かくて中国共産党による武カ解放をおそれた台湾人たちは
自分らの子弟を次々と
アメリカ留学に送り出すことができるようになった。
何万という台湾の若者たちがアメリカに出国すると、
もうニ度と台湾へ戻ろうとしなかった。
しかし、大学を卒業してもアメリカに在留するためには
エンジニアの資格を持たなければならない。
台湾からの留学生たちは台湾に送還されないですむ方法として、
その大半がエンジニアへの道を歩むようになり、
なかでも半導体や
コンピュータの技術を学ぶ人が圧倒的に多かった。
おかげで大量の中国人が先端産業の業界で働くようになり、
いささか誇張した言い方だが、
もしアメリカのコンピュータ業界から中国人を追い払ったら、
業界そのものが成り立たなくなってしまうのではないかと思うほど
中国人によって占められるようになったのである。
おそらく似たようなことが
将来中国からの留学生の間でも起こるだろう。
もともと大陸からの留学生は技術系が多いが、
技術系の大学を卒業すれば、
卒業後もアメリカで働くことが許される。
一ペんでも自由の空気を吸った留学生で、
あの息苦しい母国へ帰りたいと思う者はいなくなる。
まして天安門事件をきっかけに政治亡命が許されるとなれば、
帰る人は皆無に近くなる。
それらの若者たちが帰らなくとも
国がつぶれてしまうわけではないからいいようなものだが、
もし国のほうでそういう若者たちに帰ってもらおうと思えば、
それなりの条件を整えなければならない。 |