第89回
初期の対中国投資はなぜ失敗したか その4
中国側の統計によると、香港からの投資が一位で、
台湾は三位だそうであるが、
政治的な考慮から台湾資本はほとんどが香港に中継地をおき、
ワンステップおいて大陸に乗り込んでいる。
生産事業に関する限り、
台湾が実質上第一位であることは何の疑いもない。
日本企業の中にも早くからこの動きを察し、
他に先んじて中国大陸に投資をしたすばしこい会社がたくさんある。
しかし、少数の例外を除いて、
ほとんどが苦杯をなめさせられている。
なかでも、ホテル事業に参加した日本企業は、
土地の借用期間はわずか二十年間、二十年たったら建物ごと
中国政府に返還する条件になっているものが多い。
二十年間に建物をはじめ投資した設備費のすべてを償却した上に、
利益をあげなければならないのである。
ところが、実際に建設にかかってみると、工期は遅れるし、
従業員は中国側が送り込んできた者を使うよりほかなかったから、
人事面でもたいへんな苦労をさせられた。
やっと稼動できると思ったら、
相継ぐ政情不安で観光客が寄りつかない。
ケ小平の深セン珠海視察が実現した一九九二年一月、
すなわちつい一年前までは、
上海や北京のホテルの集客率はせいぜい40%で、
天安門事件のあとなどは20%にも充たなかったのだから、
いかにさんざんな目にあわされたか想像がつく。
どうしてそういうことになったかと言うと、
マルクス主義の洗礼を受けた中国で教条主義の金しばりにあい、
資本主義とか、私有財産とか、
個人企業を目のカタキにした時期が続いたからである。
たまたま合弁の相手になった外国企業は
資本主義を代表する悪役であり、
労働者の膏血を絞ってつくったお金を
いくらでも持っていると思われていた。
そういう奴らから取れるだけ取ってやれ
というのが中国側の基本姿勢であったから、
進出企業にとって苦難の時代が続いたのである。
簡単に言えば、資本主義とはお互いに資本とか、
技術とか、土地とか、人を出し合って、事業を営む、
その結果、うまく儲かったら、
予め決めた比率で利益を分けあう制度のことである。
これに対して共産主義とは、自分の金は自分の金、
他人の金も自分の金、
なるべく相手の持っているお金をまきあげて
共産化するシステムのことだから、うまくかみあうわけがない。
もし世界中の共産主義国家が健在で
中国大陸がいまも教条主義から卒業していなかったとしたら、
いまも同じことが続いていたはずである。 |