第88回
初期の対中国投資はなぜ失敗したか その3
NIESの国々は、韓国を除けば、
いずれも中国人の国、もしくは地域である。
日本の企業がこれらの地域に進出しはじめると、
これらの地域でも急速なエ業化が起こった。
これらの地域の工場の中には
日本人との合弁によってはじめられたものもあるが、
合弁の相手は日本企業だけとは限らない。
シンガポールではべンツのノック・ダウンエ場もあるし、
台湾にはフォードやシトロエンの組立エ場もある。
また見様見真似で現地人が
自分らで開発した工業製品も枚挙に遑がない。
もちろん、その中で進出工場が最も多く、
かつ現地で一番大きな影響をあたえたのは、
何といっても日本企業であろう。
台湾は日本の旧植民地だった縁もあるし、
香港やシンガポールは戦時中、
日本の占領地域であった。
そのほかの東南アジアの国々に比べて、
これらの地域が工業化の先陣を切るようになったのは、
日本もしくはイギリスの統治下で
インフラの建設が群を抜いていたからである。
そういう地域へ日本の企業が進出して、
あるいは華僑資本と合弁をしたり、
あるいは中国人を幹部や従業員として使うことによって、
地区全体の工業化を進めた。
このことは、大半の人々が中国人であることと睨み合わせても、
中国人に工業化能力があるということを
実証したようなものである。
台湾や香港やシンガポールがつくる工業製品は、
日本が現在欧米に輸出している商品とは
あまり競合しないものが多い。
しかし、貿易黒字国として突出していることは
ごらんのとおりであり、
それが原因でアメリカと貿易摩擦を起こしている。
また工業化が急速に進んだために、
人手不足と労賃の高騰を招き、
かつアメリカから為替の調整を求められ、
日本が人手不足と円高で悩んでいるのと
そっくりのことが起こっている。
NIESの国々は、もはや日本企業にとって
コストを安くするための進出先でなくなってしまった。
それどころか、台湾、香港、シンガポールの企業が
日本企業と同じ間題を抱えるようになり、
東南アジアもしくは中国大陸に
もっと条件のよい環境を求めて移動する時代になってしまった。
香港企業がタイやマレーシアへ、
また比較的早くにすぐ隣接する広東省へ進出したのに対して、
台湾企業がタイ、マレーシア、フィリピンなどを目指したのは、
台湾と大陸が四十年来、政治的な敵対関係にあって、
台湾政府が自国企業の大陸進出を禁止したからである。
また投資家の立場から見て
大陸そのものが共産主義にどっぷりつかっていたために、
投資価値のある対象地域と思われていなかったためでもある。
しかし、こういうカントリー・リスクの高い時代にも、
ベンチャー・ビジネスの移動には目を見張らせるものがある。
台湾で養鰻がコスト割れになれば、
すぐお向かいの汕頭に養鰻場を移した企業もあるし、
ケミカル・シューズの工場で労働力の確保が難しくなると、
いち早く工場を深センに移して、
香港から投資をするように切り換えた企業もある。 |