第53回
「不惜身命」と「生命あっての物種」
保身といえば、すぐにも老荘思想を連想する。
孔孟の思想は、君臣別ありとか、長幼序ありとか、
体制を是認した思想だから、時の為政者にとっては都合がよい。
また徳を讃え、徳をもって政事を行なうことを教えているから、
悪いことをやっても表向き徳のあるフリをすれば、
罰を逃れることができる。
役人たちが賄賂をとったり、不公平な人事をやっても、
栄転したり、隠退する時は、記念碑を立ててもらって
「めでたし、めでたし」で済んでしまう。
儒教が時の為政者に受け入れられ、
科挙の試験の教科書になったのも、
上層部にとって人畜無害の思想だったからと見ることができる。
ところが、法家思想の代表ともいうべき韓非子は
孔子に対して異議を唱え、
法をもって政事を行なうことを主張した。
当時の法律は法を犯した庶民を取り締まるためのものであって
大夫以上の職位にあるものはその適用を免れた。
それに対して、韓非子は王侯といえども例外であってはならないと
力説して譲らなかったから、秦の始皇帝は韓非子に会って、
その理路整然とした弁舌
(といっても、韓非子にはどもる癖があったが)
に感嘆する一方で、
こういう男は生かしておくと将来に
禍根を残すという李斯の耳打ちをきき入れて、
獄中で毒殺してしまった。
権力争いの世界は、食うか食われるか、の世界だから、
トップを目指す人にとって保身術は立身出世の次くらいに
関心のあることである。
韓非子のような思想の持ち主でなくとも、
官場(役人の世界)に身をおく者は
いつどこで災難にあうかわからない。
地位が上がれば上がるほどそうした危険に曝されるから、
万一に備えて人間関係をしっかりしておかなければならない。
地方の長官なら、中央の権力者と
しっかりしたコネを持たなければならないし、
自分のやることについては秘密を守ってくれる側近で
周辺を固めなければならない。
だから極端な例をあげると、上が変わると守衛まで変わってしまう
終戦後、台湾に派遺されてきた国民党の役人たちは
そういうやり方をしたので、
五十年間、日本の統治を見慣れてきた台湾人たちの
驚きといったらなかった。
これは中国大陸の伝統的なしきたりを
台湾に持ち込んだまでのことで、
もともと中国人に伝統的なやり方だから、
共産党政権になったからといってそう大きな違いはない。
いまはまさか守衛まで変えるわけにはいかないだろうが、
牽親引戚(身内の者を引き立てること)は昔と同じだし、
枢要秘書(長官の代わりに交渉にあたる秘書)
を前の役所から連れて行くのも昔と変わりない。
役人とつきあう場合でも、
あらかじめ何派というバッジをつけているわけではないから、
旗幟が必ずしも鮮明ではないが、
少々時間がたつとなかがどんな派閥に分かれているか、
次第に明確になってくる。
上部が仲が悪いと、下でもいがみ合うが、
そうでない場合でも、敵味方がはっきりしているから、
いったん事件やスキャンダルにまき込まれると、
下のかばい方が違ってくる。
日本の役所や会社にも、もちろん、
そうした派閥はあるが、たとえば派閥が違っていても、
上の者に監督義務があるから、下に不祥事が起こった場合、
上役にあたる者はその責任を問われる。 |